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24.コニャックの香り

 ザンドフルトのオランダGPが終わった。
ホンダF1チームは全員帰国し、大幅な改良を施した車でモンツァのイタリアGPから、もう一度出直すことになった。
 F1は勿論のこと、スペアエンジン、スペアパーツ、工具類から作業衣、汚れた軍手に至るまで税関法に違反しないように、日本から持って来た物を全て箱詰めにし、内容物のリストを張り付けて送り返した。
 ガレージがきれいに片付いたところで、この2ヶ月半殆ど休みを取れなかったささやかな穴埋めに、私と森さん以外のチームメンバーは、パリで休暇を取って帰国した。
 残った仕事は、お金の精算や支払い、関係各方面に対する連絡とお礼回りだった。アメリカンエキスプレスに依頼した航空貨物の運賃や手数料を精算し、ヴァロン社にはトラックと運転手の費用等を送金した。
 ガレージとホテル・ボルグマンの奥さんには、早朝から深夜まで大変お世話になったお礼の印として、料金の他に真珠のネックレスを渡した。これも経験豊富な二輪チームの入れ知恵で、税関等でのトラブル防止に準備してあった物だが、トラブルにも会わずお礼の贈り物に出来たのは嬉しいことだった。
 当時、真珠は欧米で大変珍重され、輸出する物が少なかったその頃の日本の外貨獲得の花形だった。
 高価なネックレスに、辺り構わず大袈裟に喜ぶ奥さんにお礼の頬ずりをされてしまった。

 これですべての仕事が終わった。
「ヨーロッパに2ヶ月半もいて、パリには一度も立ち寄れなかったけれど、これから何時でも行くチャンスはあるからコペンハーゲンを観て帰ろう」と言う森さんの意見に賛同した。だが、それから25年パリはおろかヨーロッパに足を踏み入れることは無かった。
 7月26日、長い間大変お世話になって我が家みたいに馴染んできたホテル・ボルグマンのプローイ夫妻に見送られて、午後の便でデンマークへ向かった。

 コペンハーゲンの街を宛もなく歩いているうちに、どこかで聞いたことのある”チボリ公園”
に突き当たった。初めて見る爽やかな北欧の夏の公園は、夕暮れの中でひと際明るく賑わっていた。子供達が木馬を揺すって大はしゃぎしている。手を引かれながら棒付きの飴をしゃぶっている幼児にメリーゴーランドの上から大の大人が無邪気に手を振っている。そんな光景に見とれて歩いていると、パントマイムのピエロにぶつかりそうになった。
 その頃の日本に比べると、心にゆとりのあるヨーロッパの人達が、趣向を凝らして自分達の手で楽しみを作り出している様子が伺えて感激した。

 夕食の後、街をぶらついていて夢の様に美しいショーウィンドウに引き寄せられた。
”Den Permanente"と書いてある、これだ!工業デザインをやっていた義兄弟がよく話していたデンパーマネントだ。家具や照明器具、食器や日用品、おもちゃに至までどれを見ても奇をてらうでもない、モダーンで暖かみのある美しいデザインの品々が溢れている。北欧の人達の生活を慈しむ心が染み込んでいる様だ。
 今回のヨーロッパ出張中に生まれた、未だ見ぬ我が子の土産にチーク材の小さなアヒルを買った。このアヒルの子はその後3人の子供に愛され、孫達にも引き継がれた。

 いよいよヨーロッパを離れる時が来た。空港でチェックインを済ませ、何かお土産を買って帰ろうと免税店を見て歩いた。リカーストアの前まで来て、ふと思い付いて店員に聞いてみた。
「どの国のコインでも使えますか?」
「OKですよ」
 シメタ!これまでの2ヶ月半、オランダ、ベルギー、フランス、イギリス、とチームの会計係をしながら旅をしてきた私のバッグの底には、両替しそこなったコインが1リットル位溜まっていて、重くてしょうがなかった。
 特にイギリスのハーフクラウンやギニーやペニーは、使うのが面倒なので殆どが残っていた。これらを全部カウンターの上に出し、記念に珍しいコインを少し拾い、国別に整理して勘定をして貰ったら、何とマルテルのXOが2本も買えることになった。
 ブランデーの味を教えてくれた義父と父に買って帰りたいと思った。

 父は鹿児島で、純粋培養した種麹を焼酎メーカーに売る日本に2軒しかない種麹屋をやっていた。焼酎の杜氏達が自分で造った焼酎を持って来ると、父は試飲してみて、
「麹にする米を蒸す蒸気の温度が低くて麹の水分が多過ぎたのではないか」とか
「諸味の温度が高過ぎたのではないか」等と杜氏達を指導していた。
 私も麹屋の基本技術である黒麹を純粋培養する方法等は、覚えておいて損をすることは無いと、中学の時に父に実地に教わった。
 しかし父が一升飲んでも平気な酒豪なのに、私は下戸でとても杜氏の指導などは出来ないと思っていた。またその頃は焼酎の将来に明るさを見いだせず、継ぐことはしなかった。
 そういう事の罪滅ぼしの意もあったが、知識としては世界中の酒を知っていた父に、焼酎と同じ蒸留酒であるコニャックの最上級クラスの物を飲んでみて欲しかったのだ。

 東京に帰り着くと直ぐマルテルのXOを鹿児島の父に送った。
 暫くして、父から一通のハガキが届いた。それには「マルテルの瓶が壊れて、コニャックは一滴も残っていなかったが、長い歳月を経て醸し出された香りは、さすがに世界一だ」と書いてあって、1ヶ月以上もその香りを楽しんだそうだ。

 

 酸味が強くボディの弱いコニャック地方のワインは銘酒ではない。しかし蒸留されて樫の樽に長年寝かされている間に、樽材から溶け出した成分も加わって香味がまろやかな琥珀色のコニャックの原酒に生まれ変わる。葡萄畑や貯蔵年数で異なる味や香りの原酒を絶妙にブレンドすると、オ・ド・ヴィ(生命の水)と呼ばれるコニャックになるという。

 人間の記憶も30年経つと、芳醇な香りの思い出になるのだろうか。