MENU

HONDA

検索
20.お金の計算と文字の数

 1965年前半のホンダ F1チームは、関口久一監督を含めて全員で8人だった。2台のF1を走らせるエンジンと車体の整備はもちろん、雑用まで全ての仕事をこなすために、一人がいくつもの任務を受け持っていた。
 入社7年目の私は、エンジンとトランスミッションの設計担当、その部品管理、通訳、フランス人トラックドライバー3人の管理、それにF1ドライバーのギンサーやバックナムへの送金はもちろんのこと、チームの3万ドルぐらいあった銀行預金が私のサイン一つで出し入れできる会計係でもあった。

 羽田からアムステルダムに着いた翌々日、イギリス・マン島の二輪チームを見舞ってから合流した関口監督と二人で銀行へ行って、私のサインを登録した。預金通帳と印鑑でしか金の出し入れをしたことのなかった私にとって、預金通帳はなく、印鑑も使わない金の動かし方は何とも心もとなく馴染みにくい異国の習わしの一つだった。
 幸いにもメザース君は本職がアメリカンエクスプレスの銀行員だった。彼に習って銀行宛にチェックを書き、現金を引き出してチームの費用に当てたり、マネーオーダーの書き方を教わって、ギンサーとバックナムのアメリカの銀行に送金したりした。

 シルバーストーンのイギリスGPには、チームのマンパワーをギンサー一人に集中してエントリーした。その甲斐あって、プラクティスではジム・クラークとグラハム・ヒルに次いで、ジャッキー・スチュアートやサーティーズと同タイムの3位になった。
 レースは初めて最前列からのスタートだった。ピークパワーをうまく使ってスタートも良く、第一周目の前半はトップを走ったが、惜しくも26周目でリタイヤしてしまった。
 しかし規定周回数をクリアしたので、私はレース終了後、スターティングマネー(出演料みたいなもので、決められた周回数以上走行すると支払われる)をもらいにレース場の会計係へ行った。ところが、今入場料を集めて勘定しているからちょっと待ってくれと言う。
つい最近まで使えた2シリング
1955年の刻印があるが、日本円でいったいいくら?
 しばらく世間話をしていたが、あんまり長い間待たせるものだから、話の種も尽きてしまって、その会計係に尋ねた。
「イギリスのお金は1ポンドが20シリングで、1シリングが12ペンス、この10進法でないお金の計算はどういうふうにやっているの?」
「ペンスはペンスで、シリングはシリングで、ポンドはポンドで、それぞれ計算して、最後に切り上げをやるのだ」
 この国の複雑なお金の計算には手こずっていた。何か簡便な方法はないものかと常々思っていたところだったのだ。

 10進法で思い出したのが、手の指が10本、足の指も10本で2足歩行ができた事が人間という生物が思考を始めた原点になったのではないか。

 そこで会計係が聞いてきた。
「イギリスではアルファベット26文字で全ての言葉を書き表すが、日本では幾つの文字を使うの?」
「えーと、カタカナ46文字と、ひらがな46文字、それに漢字を最低でも2000字位、、、」と言っている間に相手がみるみる勝ち誇った笑い顔になってきた。
 考えてみると、日本ではアルファベットの代わりにカタカナや平仮名を使い、印象を強める為に漢字を使うこともできる。漢字は一つ一つに意味があるから、漢字だけを拾い読みすれば概要が分かる。中国ではアルファベットの代わりに漢字を使っていることを考えると、日本に生まれて良かったと思う。

 イギリスのレースが終わってアムステルダムのホテルに帰り着いた夜、ビスターのホテル・キングスヘッドから電話がかかってきた。
「ホテル代は誰が払ってくれるのですか?」
実は、忙しいチームメンバーのホテル代と食事代は、すべて私が立て替えておいて、月に一回一日20ドルの出張手当てと差し引きで精算することにしていた。キャッシュカードやクレジットカードはまだ存在していなかったから、アムステルダムを出る時にチームの銀行口座からドルを引き出しておき、それを各国の通貨に両替して、フェリーの料金とか税関の通過料とか、ホテル代や食事代はもちろんのこと、暑い日に冷たいジュースが飲みたければ私がお金を払った。そうすることで、チームメンバーが些細なことに気を遣わなくて済むようにしていた。
 アムステルダムのホテル・ボルグマンに帰り着いた晩、キングスヘッドから
「ホテル代は誰が払ってくれるのですか」
という電話がかかってきた。
ビスターのホテルを出る時、自分が泊まったキングス・アームズの勘定は確かに済ませた。しかし、前の晩に「次のオランダGPを最後に、チームは急遽帰国して出直す」という決定がなされた直後だっただけに、頭の中が慌ただしかったのだ。
 メカニック3人が泊まった隣のキングス・ヘッドの宿代を払うのをすっかり忘れたままフェリーに乗ってアムステルダムまで帰って来てしまった。
「申し訳ありませんでした。私、マルノが払います。明日さっそく送金しますので、悪しからずご了承下さい」と詫びて受話器を置いた。
4泊3人分の請求額は飲食費と税金を含めて、34ポンド7シリング6ペンスだったことが手帳に残っている。これに10%のチップを足して送金した。

 ところで、隣国のフランスは、お金が十進法なのはありがたい。しかし不思議なことに、フランス人は90という数字を見て、「カートゥル・ヴァン・ディス」と90からは想像も出来ない発音をする。これは4・20・10ということで、4x20+10という意味だ。4人分の両手両足の指全部と、両手の指一人分を足すと90になるということだ。
 ヨーロッパのお金を全部ユーロにしようと一番に言い出したフランス人の気持ちがいたく分るような気がする。