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17.クレルモンフェランへの道

 オランダからベルギーに入る国境を通過する時には、街中の鉄道の踏切のような遮断機がある所で、全員のパスポートと貨物の内容表を見せるだけで簡単に通してくれた。
 しかしベルギーとフランスの国境では、レンタカーを駐車場に止めさせられ、パスポートはもちろん、トランクの中までチェックされた。
 トラックの荷物は内容表と照らし合わせながら、メザース君が細かい事まで質問されて、1時間近くもかかった。

 国境が海に沈んでいて目に見えない島国に住んでいると、まったく分らないことだが、ヨーロッパの国境に来てみると、国どうしの仲の良し悪しが一目瞭然だ。
 そう言えば、フランスとモナコの境に検問所があったかどうかまったく記憶にない。モナコ王家に跡継ぎが生まれなければフランスに併合されることになっているくらいだから、検問所などは作らせないのだろうか。プロヴァンスの山道を下って行ったら、いつの間にかモナコの街に入ってしまった感じだった。
 アムステルダムからフランスGPが行われる南仏のクレルモンフェランへ行く時も、二つの国境を越え、北フランスのキャブレでオテル・ムートン・ブランに一泊した。

フォンテンブローの森で、前夜泊まったホテルで作ってもらったサンドウィッチをパクつく
前列左から、関口さん、メザース君、森さん
 翌日パリ南東のフォンテーヌブローの森まで来て、ホテルでつくってもらったランチを食べていると、パトカーが走ってきた。その後を小さなフランス国旗を掲げたシトロエンのDS19が車高を下げて地を這うように疾走してきた。
「ドゴールだ」
と、メザース君が叫んだ。
 シトロエンDS19には、1955年からハイドロ・ニューマティック・サスペンションがついていた。圧縮窒素ガスをサスペンション・スプリングとして使い、すばらしい乗心地を誇っていた。それだけではない。大男が乗り込んで車が傾いても、エンジンを掛ければ油圧で傾きを直し、車高を自動調整してくれる。その油圧で各車輪の加重に応じたブレーキ力を発生させ、車速と蛇角に応じた操舵力のパワーステアリングを作動させる。それに手動切り替えで車高を15cmも変えることができたのだ。いかにも理想を追求してはばからないフランス人が考えそうな画期的な車だった。
 ドイツのベンツが、450SELに同じ原理のハイドロ・ニューマティック・サスペンションを採用したのは、22年後の1977年。しかし車高は4cmしか変えられなかった。後部座席に座っていたドゴール大統領の、あの高い鼻が見えたような気がした。

 ランチも済んでしばらく走っていると、フランスの歴史に出てくる”オルレアン”への矢印が目に留まった。
 500年前、神の告示を受けたと信じた17歳の少女ジャンヌ・ダルクは、オルレアン城を包囲していたイギリス軍を撃破しようと、勇み立つ兵隊たちを引き連れて、こんな埃っぽい畑の中を突き進んで行ったのかもしれない。
 そんな思いが頭を掠めたが、私たちはのろいトラックと一緒にクレルモンフェランへの道を急がなければならなかった。

 その後フランスの何処を通ったのか、記憶も記録も残っていない。ただ見渡す限りうねうねと続く広大な畑の中を一日中走った事だけは忘れられない。そしてこのフランスの畑を眺めていて、気づいた。日本では飢餓など、いざという時に水田に切り替えられるようにだろうか、大雨で表土が流されないようにだろうか、ほとんど水平に整地して段々になっているのが畑だ。
 ところがフランスに来てみると、稲を作らないのだから水田が無いのは当然としても、水平な耕地は殆ど無い。なだらかな起伏の続く地形には何も手を加えてない畑がただうねうねと何処までも続いている。そんな畑を2時間走っても一軒の人家も見当たらない。一体、誰がどこから出て来てこの広い畑を耕すのだろうか?
 パリやコート・ダジュール等、華やかな都会の印象だけが強い日本人に、実はフランスが大農業国だということを嫌というほど分らせてくれた畑だった。

 その広い広い畑の端の窪地にやっと現れた20軒ほどの農家は、石畳の一本道の両側に仲良く肩を寄せ合った石造りの平屋だった。天気の良い昼下がりなのに静まり返っていて、なぜか人っ子一人見当たらない。しかし人がまったく住んでいない見捨てられた村では決してない人間臭さが、どことなく漂っている不思議な家並みだった。
 レースが終わってアムステルダムへ帰る夕方、再び通ったこのような村で、人懐っこいおばあちゃん達が立ち話をしていたり、子供達が走り回っているのを見て、やっぱり人が住んでいたんだと妙に安心したものだった。
 後年、車でヨーロッパを旅行していて、あちらこちらの田舎で沈黙した小さな石の村を通り過ぎる度に、フランスのこの村々を思い出した。

 この広い畑と小さな村をいくつか通り過ぎて辿り着いた夕暮れの古都クレルモンフェランは、どこから集まって来たのか、夏休みの学生と観光客でごった返していた。
 ホテルとは別に、F1の整備は少し離れたガレージを借りてやってたせいか、またほとんど一日をガレージかコースで過ごしていて、ホテルにいる暇がなかったせいか、我々のホテルの部屋や外観がどんな格好だったか覚えていない。ただ、各階の廊下に炊事用の流しとコンロが沢山並んでいてお客が自分で自炊できるように設えてあり、日本なら湯治用の温泉宿といったところだったことだけは、妙に頭にこびりついている。
 北ヨーロッパの人達が夏のバカンスで南フランスにやって来て長い間滞在するのは、こんな所に泊まるのだろうか。
 実はクレルモンフェランは古い火山の大きなカルデラの中にある。温泉もあちこちに湧いていて、湯治客も沢山いたようだが、私たちはそんな人達に目を向けている暇はなかった。