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10.オテル・ド・パリ

 此の頃のF1は”走る広告塔”ではなかった。
 車体はFIA(世界自動車連盟)に登録されたナショナルカラーで塗装され、前年の成績で決められたゼッケンナンバーとドライバー名以外は何も書き込めなかった。
 当時のスポンサーは、部品メーカーやオイル会社だった。部品をF1で走ってもらい、優勝して部品の優秀な性能を証明してもらうために契約金を払っていたのだ。年間契約金?万ドル優勝すればボーナスが?千ドル、2位、3位・・・6位入賞は?百ドル、年間チャンピオンになれば?万ドルと、チームとドライバーは別々にスポンサーと取り決めていた。車体には何も書かずに。
 優勝すれば、その部品メーカーは実力証明付きでインパクトのある宣伝ができ、部品が売れて元が取れたからだ。
 ホンダの最も大口のスポンサーはBP(英国石油)だった。BPは二輪チームがイギリスのマン島などで華々しい成績を収めているのをみて、F1にも大きな期待を抱いていた様だ。
 レースの時にチームが泊まるホテルもすべてBPが予約してくれてあった。モナコでホンダF1チームの為に予約してあったのが、カジノの向かいにある”オテル・ド・パリ”だった。
しかし、世界中からモナコのカジノに来る大金持が泊まるオテル・ド・パリは高級すぎる。朝早くから夜遅くまで油まみれの作業衣で出入りしたい我々にはちょっと使いにくい。ということで、アムステルダム出発前に、もっと気軽で庶民的な駅前のオテル・デュ・セルクルに変更してもらっていた。
 そのホテルに入ってみて分ったのだが、それぞれの部屋にはバスもトイレも付いていない.各階に1箇所づつまとめてシャワーとトイレがある。モナコにもこんなホテルがあったのかと驚いたほど質素なものだった。レース直前に探したのでは、こんなホテルしか見付からなかったのだろう。
 翌朝まだ薄暗いうちから外が余りに騒がしいので、隙間だらけのブラインドを開けてみると、ホテルの掃除婦や料理人といった様な人達が駅から続々と出て来る。モナコを支える人達だ。此の人々を見ていてホテル・デュ・セルクルも、やっぱりモナコには必要なんだとなっとくした。しかし、コースのピットと整備用に借りていたガレージで1日が過ぎてしまってホテルにいる時間がほとんどなかったチームメンバーは、苦情を言っている暇はなかった。

 チームの会計係もやっていた私は、レース前日ひょっこり現れた前年チーム監督の中村所付に連れられて、チーム費用の大半を援助してくれていたBPのレース部長をオテル・ド・パリに表敬訪問することになった。
 豪華なシャンデリアの輝くロビーで夫妻にコーヒーを勧められた。
「忙しいけどコーヒー1杯だけ飲んで帰ろう」と言う中村さんに従った。
 ギャルソンがうやうやしく運んできたコーヒーは、意外にもカップの上にもう一つ濾紙とコーヒーの粉が入って底に穴のあるカップが乗っているドリップ式のものだった。
 ホテルの地下とカジノをトンネルで繋いだのは、アメリカ人客には便利だと受けが良かったかもしれない。だけどこんなに手を抜いたコーヒーを出すなんてオテル・ド・パリもついにアメリカナイズされてしまったのかといささかがっかりして、もう一度シャンデリアを見上げた。5分位経って、ギャルソンがお湯を注いでいった上のカップを少し持ち上げてみたが、下のカップにはまだほんの少ししか溜まっていない。
 チームメンバーが午後のプラクティスの準備に忙しく立ち働いているのが目に浮かぶ。だがこの少しのコーヒーをすすって逃げ帰る訳にも行かない。
 内心あせってはいても、ここでイギリス紳士に引けを取ってはならないと、自分に言い聞かせて悠然と座り直した。
 勧められた葉巻をくゆらせながら、コーヒー1杯でこんなに時間がかかるのでは、レースなどやっちゃいられない。ああ”オナシス”のオテル・ド・パリにしなくてよかったと、つくづく思ったのだった。