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05.羽田から北極周りでアムステルダムへ

マッキンレー(6,194m) 1965年のホンダF1チームの先発メンバーは、車体設計の森 潔、エンジン性能研究の奥平明雄と私の3人だった。5月14日午後10時45分北極周りでアムステルダムへKLM機で出発した。
 当時はミグ戦闘機が待ち構えている共産主義国家ソヴィエト連邦の上空を飛んでヨーロッパへ行く訳にはいかなかった。
 羽田を離陸したKLM機は、北東へ向かってアリューシャン列島沿いにアラスカへ行った。アンカレッジ空港でしっかり給油し、ソ連の北側の北極海を飛び越えてヨーロッパへの航路を取っていた。
 5月14日午前11時10分アンカレッジを飛び立ち、左に北米大陸最高峰のマッキンレーの白い山塊を見送った後は、初体験の外国旅行の緊張感は疲れに変わり眠気が差してきた。すると「北極上空を通過しました」というアナウンスと同時に「僕は北極上空を飛んだんだよ」と友達に誇れる様に「北極通過証明書」と書かれた卒業証書の半分位の証書と此の飛行機の絵葉書をスチュアーデス(客室乗務員)が配って歩いた。どこが北極なのだろうかと眠たい目を擦りながら窓の下を見渡して見たが、ただただ白い雪原が何処までも広がっているだけで、どこにも北極の「標」は見当たらなかった。

 スカンジナビア半島の遥か北にあるスピッツベルゲン島の真っ白な山並みに、乗客の注意を促しているスチュアーデスのアナウンスに起こされた。人間の住む最北の村があるそうだ。ここは北緯80度 南緯70度の昭和基地より10度も極に近い。何が楽しみでこんな寒い所に住み着いて居るのだろうか・・暖かい鹿児島生まれの寝ぼけた頭が迷っている間も飛行機は飛び続けた。
 ノルウェーのフィヨールドを眺めながら食事をとり、北海を渡ると平らな緑地にレンガ造りの家が点々と見えてきた。やっとオランダに辿り着いたらしい。しかしオランダの正式な国名は「ネーデルランド」(低い土地)、国土の1/4は海面下にあるという、地面から水がしみ出してじくじくしているかもしれない・・と思う間もなく飛行機は滑る様に海面下4メートルの乾いたスキポール空港に着陸した。5月15日午前8時30分だった。

ホテル・ボルグマンの窓から 初めて乗った飛行機の18時間に及ぶ長い旅。途切れ途切れの睡眠、運動不足。タラップを降りて眩しいスキポール空港の地面に足の裏はぴったりとは付かない感じだった。どの道を通ったか時差ボケの頭はまったく覚えていない。とにかくタクシーに乗って辿り着いた我々のホテルは、コンセルトヘボー音楽堂に近いフォンデル公園の縁にあった。まだ若いプローイ夫妻の切り盛りする家庭的でこじんまりしたホテル・ボルグマンだった。
 翌朝、ダイニングルームに降りてテーブルに着くと、トースト2枚とジャム、薄切りのゴーダチーズ3枚が乗った皿が運ばれてきた。体が大きくて頑丈なオランダ人がたったこれだけで昼まで持つのだろうかと不思議に思いながら初めてのコンチネンタル・ブレックファストを食べてコーヒーを飲んだ。
 窓の外には、塀越しに鮮やかな芝に覆われたフォンデル公園が広がっていて黄色や赤、白の大きなチュウリップが咲き競っていた。
 確かににオランダはチュウリップの国だと教科書で習ったが、此の国のチュウリップがこんなに大きいとは書いてなかった。日本のチュウリップの2倍はある。ああ、本当に農業国のオランダに来たんだと時差ボケの頭を納得させたチュウリップだった。