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幻のHondaインディ計画


第一章 宗一郎のインディ見物

1964年



にらみを聴かして腕組みする本田宗一郎


リヤエンジンのロータスを見つめる本田宗一郎


コリン・チャップマンもインディ初見参


フロントエンジンのインディカーの代表的スタイル




興味深くかつ事細かに観察した新村さんの様子が伝わってくる


左右の長さを変えているサスペンション
 1964年5月、インディアナポリスのオーバルコースの内側で、ピットに並ぶマシンを鋭い眼差しで食い入るように眺めるパナマ帽姿の日本人がいた。1911年から始まり、第48回を迎えたアメリカ最大のレース、“インディアナポリス500マイル”の会場である。

 日本が東京オリンピックに湧き、高度成長の急坂を登り始めたこの年、アメリカが誇るインディ500マイルレースは、偶然にも歴史的な節目のレースとして位置づけられることになっていた。

 1964年インディアナポリス500マイルレースのウイナーは、1961年に続いて2勝目を飾り、その後、1967年、1977年と勝利を重ねてインディ史上にさん然と輝く英雄として名を馳せるAJ.フォイトだったが、その勝利はフロントエンジンカー最後の栄光として記録されることになるのだった。

 翌年は、F1ドライバーのジム・クラークが、挑戦2年目の英国製ロータス車で勝利を飾った。それは、エンジンをドライバーの後方に積むミッドシップエンジンカーのインディ史上初勝利だった。翌1966年も、同じくロータスでグラハム・ヒルがウイニングサークルでインディ恒例の牛乳を飲むセレモニーを行ない、以後、フロントエンジンカーの勝利は記されていない。つまり、1964年は、インディの歴史が大きく変わる節目の年として位置づけられるのである

 そうした区切りの第48回インディアナポリス500マイルレースの会場に、その日本人、本田宗一郎の姿があったのは、単なる偶然だったのだろうか。そもそも1964年は、ホンダがF1に挑戦を開始するまさにその年だったのである。

F1デビュー
1964年F1GPシーズンは、5月のモナコGPから始まっている。当初はそこでロータスに積まれたホンダ・エンジンがデビューするはずだった。しかしホンダは、開幕戦でのデビューを果たせずにいた。

 その年の新年が明けて間もない1月末、エンジンを供給するはずだったロータスのコリン・チャップマンから、“事情が変わったのでホンダと組むことは出来ない、悪しからず”という電報が届き、状況が一転した。ホンダは急きょ、シャシーまで自製して未知のF1GPに挑戦することになったのである。突貫工事でホンダF1第一号機のRA271は作られたが、完成してデビューにこぎ着けたのは、8月2日に開かれた第4戦ドイツGPだった。

 インディ500は、毎年5月30日のメモリアルデーと呼ばれる戦没将校追悼記念日を含む週に開催される。1964年も例外ではなかったが、1964年のその時期は、本田技術研究所がF1のデビューに向けて、最後の調整におおわらわの真っ只中のはずだった。

 宗一郎は、そのドタバタの最中に、2輪/4輪のレーサー設計室の責任者である新村公男を引き連れてアメリカに渡り、F1とは別の視点からオーバルレースを見物したのだ。火の玉オヤジの面目躍如の逸話ではある。

 その豪放磊落ぶりは、社内報でも報告された。インディアナポリスとデトロイトを回り、ニューヨーク博覧会を視察してアメリカから帰国した宗一郎を6名の社員が囲み、初めて見物したインディ500について、本田宗一郎社長から話を聞いている。『社長とホンダマン座談会−未来を自分で作れ!』という題名の6ページの記事には、ニューヨークの世界博やデトロイトの視察とともに体験したインディ500の印象が、いかにも宗一郎らしい親しみ溢れるべらんめぇ調で、ストレートに語られている。
社内報へ
 しかし、宗一郎は単なる見物のために“インディ”を訪れたのではなかった。2輪と4輪の両方を担当していたレーサー設計室には、圧勝を重ねる2輪GPを中心に開発計画が混在して山積みされていたが、4輪の最高峰F1GPへの挑戦とまったく並行して、インディ500へのチャレンジが計画され、具体的に動き始めていたのである。

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※ここに掲載された写真は、第一期ホンダF1の初期にトランスミッション設計を担当した丸野冨士也さんの所有。撮影は、1964年のインディアナポリスを視察した本田宗一郎に同行した新村公男さん。レーサー設計室のメンバーだった丸野さんの上司で、本田技術研究所レーサー設計室の総括責任者を務めていた。写真の1枚1枚のメモ書きは新村さんによる。



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