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 完成したRA300はグッドウッドに持ち込まれ、申し訳程度のシェイクダウンテストを行なった。今まさに、中村良夫監督(向こう側の眼鏡の人物)と談笑しつつ、サーティースがマシンに乗り込む。 (中村良夫さんのアルバムから)
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……ということで、エンジンは他のマシンと同じような、いわば平凡な縦置き方式になったんですが、でも、“ホンダ・ミュージック”の源泉であった「V12」という方式はキープしていて、そのドライブシャフトを中空にするといった工夫も盛られています。ただ、縦置きに搭載することもあって、V型エンジンのバンク角は、それまでの60度から90度に変わりました。

RA273は、1967年のシーズンでも、マイナーチェンジを受けつつ使われるんですが、このとき、Hondaの参戦態勢にも大きな変更がありました。そうです、ドライバーですね。67年から、HondaのF1マシンは、ジョン・サーティズのドライビングに託され、同時に、1カーによるエントリーになりました。

この「ドライバー」ということについては、いくつかの記憶があります。
たとえばリッチー・ギンサーですが、彼はあくまでも、徹底した「実践派」でした。何ごとも実際にやってみないと納得しないというか、まあ、わからないというか……(笑)。スタビライザーをどうするかということにしても、「このくらいのものをつけてくれ」というのではなく、実車に装着して、さらに実際に走って、いろいろ細々と調整しながら仕様を決めていく。273で、スタビが外から簡単に調整・交換可能になっているのは、そのためです。

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