MENU

HONDA

検索
 
佐野教授の60’s F1物語へ 丸野エンジニアの手記へ 幻のHondaインディ計画へ 佐野教授とコレクションホールを行くへ 佐野教授の手紙へ 時代背景へ
佐野教授とコレクションホールを行く


RA271

RA271コックピット
とにかく“やってみた”、Hondaの処女作




RA271 ― 1964年(昭和39年)

 エンジンを、オートバイと同じく横置きに積むという突拍子もない搭載方法など、随所にHondaらしさが盛り込まれた記念すべきF1デビューマシン。
 本田宗一郎の理念に従い、エンジンにきわめて豪華かつ独創的な技術が用いられたのも大きな特徴。1気筒あたり4バルブのレイアウトは、当時どのエンジンメーカーも採用していない。
 しかし、この贅を尽くした設計が、RA271の弱点でもあった。車両重量は当時の規定最低重量を75kgも上回り、整備性の悪さもついて回った。サーキット現場での素早いセッティングと整備は、時としてマシンの性能以上に重要な事柄であることを、Hondaはこのマシンで学んだ。



佐野教授のF1処女作

 1964年に作ったF1で、Hondaとして、そして私にとっても、処女作のマシンです。ボディはアルミ合金を主体としたモノコック構造。当時、つまり62〜63年は、まだパイプ・フレームのレーシングカーが主流の時代でしたが、Hondaは敢然とモノコックを選択しました。モノコック構造でレーシングカーを作っていたのは、フェラーリ、ロータス、そしてBRMといったチームだけでした。

 といっても、オール・アルミというのではなく、フロント・カウルは樹脂製。また、ボディ内部にある隔壁――というと航空機みたいですが、それは鉄製でした。このマシンは、全体の造形にしても、またエンジンの「抱え方」にしても、航空機の考え方が多く入っています。私としても、学校で航空機の勉強はしましたが、レーシングカーの作り方は教えてもらってなかったので(笑)。


 フューエル・タンクの設定と使っている素材にも、航空機のやり方というかノウハウが用いられました。タンクはゴム製で、合計6個がボディの各部にあるという構造です。ゴムといっても、厚さは1センチくらいあるもので、これは(敵の弾丸で)撃たれても穴が開かないようにというコンセプトで作られていました。でも、F1は撃たれるってことはありませんから(笑)、ほんとはそんなに厚いものでなくてもいい。でも、メーカー(横浜ゴム)さんにはそれしかないということで、このマシンの場合は、それで行くしかなかった。

 ドライバー席の横に孔がありますが、そこからたたんだゴムを入れて、なかで開いてフューエルタンクになるという、そんな作り方をしていました。狭い孔から手を突っ込んでの作業で、さらには分割したジョイント部分をビスで止めるということもやらなくちゃいけない。見えない、狭いというやっかいな作業で、このマシンは、組み立て担当の方には相当苦労させちゃいましたね。

 ただ、タンクの6個の容量を合計しても、フューエルはレースを完走できるだけの量は入らなかったはずです。でも、監督の中村さんは、この時点では、「いいよ、(フィニッシュできなくても。レースには)でるだけだから……」って。
 だから、スペアタンクをフレームの外に吊ったこともありました。そんな写真がどっかに残っていると思います。
 中村さんの方法論は、「まず、やってみる!」でした。そう、宗一郎と同じですね。

 エンジンはリヤに搭載で、ラジェーターはフロント。だから、ボディ内部で水を通さなければならないんですが、でも、どこを通せるだろう?
 なかなかそんなパイプを通す場所がなくて、結局、ドライバー席横を通すことになってしまいました。でも、これがちょうどドライバーの肩のあたりで……。だからドライバーはかなり熱くて、火傷をしたこともあったようで、これは申し訳なかったですね。

 エンジンが(大きな)V12で、それも横置きで、バッテリーも置き場所がなくなって、ボディの最後部に置くことになってしまいました。でも、制約がないところでは、新しいものは生まれませんから。

 ……いま見れば、ボディの後ろはエンジンを抱えるために四角で、そして前は丸くて、かなりカッコ悪いという感じもあります(笑)。
 でも、このクルマがあって、すべてははじまった。
 これはHondaF1の原点であり、そして、Hondaらしさもいっぱい入っているマシンです。その意味では、未熟ではありましたが、でも意義のあるマシンであると確信しています。


(取材&文・家村浩明) RA272へ


佐野教授とコレクションホールを行く トップへ