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佐野教授のプロフィール


佐野彰一  (さの しょういち)



1937年東京に生まれる。東京大学航空学科を卒業して僅か4年目、26歳の時、突然、F1のボディ設計を命じられる。Hondaは、1964年に始まる第一期F1を、ロータスにエンジンを供給するエンジンサプライヤーとして戦う予定だったが、そのシーズンが始まる1964年1月に、ロータスから“エンジンは他社製を使う。悪しからず”との電報が届き、急遽、自社製シャシーを作らなければならなくなった。

急ごしらえで仕上げたRA271は、重く、整備性も悪かったが、徐々に熟成を進め、翌1965年の最終戦、1,500cc最後のメキシコGPで念願の初勝利を飾った。

佐野教授
その経験を生かし、1967年にはイタリアGPでデビュー優勝を飾るRA300の足周りを設計、さらに1968年には、先進的なアイデアを盛り込んだ空冷のRA302のテクニカルディレクターを務めた。1968年までF1を戦った後は、1300クーペのプロジェクトリーダー、4WSやASV(先進安全自動車)の研究開発を行なう。

Hondaを退社した現在は、東京電機大学で自動車工学の教鞭をとっている。Hondaの第二期F1時代、ウイリアムズにアドバイスして、リヤサスペンションの問題を解決、連勝への足がかりとしたことも。

温和な人柄とは裏腹に、毅然とした自信を持つ生粋のエンジニアである。




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