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モータースポーツ > ダカールラリー > 1981-1989 Honda パリ・ダカールラリー参戦記 前編

DAKAR RALLY 2013

前編

舞台はアフリカの砂漠だった

最近は、南米大陸を舞台としているダカールラリーは、1979年の初開催から2008年までアフリカ大陸を走る「パリ・ダカールラリー(以下、パリダカ)」として開催されていた。

パリダカの創設者は、アフリカでのラリー経験を持つフランス人のティエリー・サビーヌという人物で、本人も自らがプロデュースした第1回大会(このときの大会名はオアシス・ラリー)に出場。初期の参加者の多くはフランス人で、長距離の耐久レースを好むというお国柄が反映されていた。

クリスマスにフランスのパリを出発し、約20日間で1万2000kmを走破する当時のパリダカは、コースの大半が人間の存在を許さないモーリタニア砂漠や、数百km四方になにもないテネレ砂漠など、過酷な環境に設定されていた。

このため、参加者の半数以上がリタイアする大会もあり、ときには死者まで出ることになった。また、政治的に不安定な地域を通過する場合もあって、開始直後から名実ともに「世界一過酷なモータースポーツ」だった。

やがて、パリダカは新年の幕開けを告げるモータースポーツとして、ヨーロッパで注目される存在となり、特にフランスでは世界ロードレース選手権(現在のMotoGP)や、ル・マン24時間耐久レースと肩を並べる人気イベントとなった。

同時に、マシンの性能と存在をアピールするために、各国の自動車メーカーや二輪メーカーの参加が増えていったのである。

Honda初優勝とBMWの3連勝

モト(二輪)部門では、ヤマハXT500が第1回大会から2年連続優勝し、次いでBMWのR80が1勝を挙げた。Hondaは、81年の第3回大会から出場。フランスHondaの要請で朝霞研究所(現二輪R&Dセンター)が手を加えたXR500R(550cc)を投入し、この年は6位に終わったが、翌82年の第4回大会で優勝することができた。

このマシンを駆って優勝したのは、フランス人のシリル・ヌヴー。ヌヴーはヤマハの2連勝の立役者でもあり、砂漠で二輪を走らせることにおいては抜きん出た存在だった。

しかし、このヌヴーの走りをもってしても歯が立たなかったのが、翌83年からBMWが投入したファクトリーマシンだ。水平対向2気筒800ccエンジンのパワーは、それまで主流だった単気筒エンジンのパワーをはるかに上回っており、車重はあるが低重心な車体レイアウトもメリットになっていた。

ヌヴーのライバルだったアフリカ生まれのフランス人、ユベール・オリオール(第2回大会ではあまりにも早くゴールに着きすぎて失格)と、世界モトクロス選手権の元チャンピオンであるガストン・ライエという強力な布陣で臨んだBMWは、第5回〜第7回大会まで3年連続優勝という快挙を達成した。

つまり、BMWは85年までの7大会で4勝という圧倒的な成績を挙げた。対して、フランスHondaによるパリダカチームは、このハイスピードマシンにどうしても勝つことができず、さらには85年から登場したLツインのカジバにも後塵を拝することになった。

この事実によって、パリダカは高速化の時代に突入し、単気筒より少々重くなるものの、最高速を出しやすい2気筒マシンによるハイスピードレースが展開されることになった。そして、競技自体もそれまでのアマチュア主体から“勝ちを狙う”ファクトリーチームの戦いへとシフトしていったのである。

もちろん、“打倒BMW”の最右翼はHondaだった。フランスHondaからの強い要望によって、84年秋にHRCでプロジェクトチームが組織され、「86年の第8回大会で優勝する」を目標に、パリダカに向けた専用マシンの開発をスタートさせたのだ。

パリダカ専用エンジンの開発

開発チームは、ロードレース、モトクロス、耐久レース、ダートトラックの経験者から、選りすぐりの人材を招集した。このチームメンバーが85年の第7回大会を視察したことで、Hondaはパリダカの実態を初めて知ったと言っていいだろう。

走行条件は砂漠、岩場、石が転がるダート、サバンナ、そして舗装路。気温は氷点下から50℃以上。走行距離は、最長で1日800kmのSS(競技区間)+リエゾン(移動区間)。そして、オクタン価が不安定で、ゴミや不純物が混じったガソリン。

性能面だけではなく、耐久性や整備性もシビアに要求される現実に、開発スタッフたちは驚きを隠せなかったのも事実だ。このような条件下で勝ちを狙えるマシンの要件、つまりコンセプトは以下のようなものとなった。

@軽量・コンパクト(走行性能、疲労、耐久性など、すべての要素に影響)
A最高時速180km(巡航速度は時速150km前後)
B疲れない(特にフラットな出力特性をライダーが要求)
C壊れない(マシントラブルはライダーの生命に関わる)
D整備性がよい(理想はノーメンテナンス)
E高速安定性重視(砂漠での高速巡航が勝負)
F低燃費(設計時の目標は9.1km/L。450km無給油+20%が規則)
Gマスの集中(車体重心付近になるべく集める)

具体的に使用するエンジンには、パワーとトルクがあって3000〜8000rpmがフラットな出力特性であること、最低4000km走行(当時はエンジンが合計3基使用可)の耐久性があることが求められた。この結果、選ばれたのはVバンク45度で、90度位相のクランクを持ったVツインエンジンである。

このレイアウトだと、1次振動がキャンセルでき、扱いやすさ、疲労度、耐久性などにメリットがある。このエンジンより少し前に開発された、アメリカで人気のフラットトラックレースのためのマシン「RS750D」のVツインエンジン(同形式)で得たノウハウが、基本的な考え方のベースになっている。

しかも、エンジン幅が単気筒並みにスリムなので、車体レイアウトの面でも有利だった。この利点を生かすため、パリダカ用マシンとしては特徴的な設計が行われている。それは、左右幅を最小にするために採用した一体式クランクに、ニードルローラーベアリングを組み合わせたことだ。

一体式クランクには、大端部を分割したコンロッドを使用するが、通常この部分にはプレーンメタルを使う。ボルト締結などで組み合わせ部分の精度(真円度)が出ないからだ。

しかし、パリダカでの使用を考えると、車体の傾きによる瞬間的なオイル切れや、ちりのかみ込みなどに強いニードルローラーベアリングを使いたい。

そのためには大端部の真円度の確保が前提になるので、いわゆるかち割りコンロッド(一体成形したコンロッドを叩いて割る)を採用し、組み合わせ部分の精度を実現した(これはNR500以来の投入だった)。結果的に、エンジンオイル容量自体も抑制することができた。

新しいラリーレイドマシンの誕生

最終的に完成した水冷SOHC4バルブ・V型2気筒エンジンは、ボアストローク83×72mm=779.1cc、最高出力は約70ps/7000rpm。これを搭載する車体もまた、斬新かつ独創的な構造だった。

現在のビッグオフロードモデルでは普遍化している大型カウリング&ビッグタンクという構成は、このマシンで初めて具現化されたといっていいだろう。

巨大な燃料タンクは左右別体式で、低重心化のために、エンジン側面までそのスペースを下げられている。さらに、シート下のモノコック構造も燃料タンクに使用し、合計で59Lの容量を確保した。

この3つのタンクはそれぞれ独立した給油系統を持ち、1つのタンクにトラブルがあっても、走行が可能になっている。また、シート下のタンクにはラバー製ガスパック、左右のタンク外側はケブラー(アラミド樹脂)製として、転倒による破損や燃料漏れを防止している。

そのほかには、スチール製パイプフレーム、ストローク280mmの正立フロントフォーク+リアプロリンク、キックとセルスターターの併用、チェーン駆動(シャフトは大ジャンプができないため)など、極めてオーソドックスな構成とし、リスクを徹底的に排除すると同時に、優れた整備性を確保していた。

極端な走行性能ではなく、信頼性と扱いやすさを基本に据えたマシンは、テネレ砂漠などで行った現地テストでもコンセプト通りの仕上がりをみせた。マシンには「NXR(フランス人はヌクサールと呼んだ)」と名付けられ、目標通りに86年の第8回パリダカ出場に向けてフランスに送り出された。

実は、その直後、日本にあったスペアエンジンのスタッドボルトが、突然吹き飛ぶというトラブルがあった。クランクケースは軽量化のためにマグネシウム合金製としたが、ボルトがマウントされる部分の強度が不足していたのだ。

急きょアルミ合金製クランクケースが新作され、フランスに空輸された。この点だけが予期せぬトラブルだったということになる。

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