ダカールラリー2018をもっと楽しむための豆知識 歴史編

Q 「世界一過酷なモータースポーツ」と言われるのはなぜ?

A 距離と日数、そしてラリーが行われる環境が厳しいからです。

4000m近い場所でのレースはライダーにも、マシンにも過酷な環境

真冬のパリをスタートし、地中海を渡りアフリカ大陸へ。1978年に始まったダカールラリーは、パリというヨーロッパの文化圏から、地形、気候、宗教、人種などが異なるサハラ砂漠の国々を、縫うようにして走る冒険ラリーでした。初期のパリ〜ダカールラリーはスタートから3週間、総走行距離1万km以上でした。その後、2週間、8000km以上と短縮化されますが、通過するルートの厳しさは折り紙付き。

サハラ砂漠では、大砂丘群を前にコンパス(方位磁石)を頼りにナビゲーションをし、岩だらけの道が延々と続く道もルートに組み込まれました。1日の走行距離は時に1000kmを越え、トラブルが起きなくとも選手の睡眠時間は削られ、食事さえもままならない。サバイバルテクニックすら求められる日々が続くラリーだったのです。それが“世界一過酷なモータースポーツ”と言わしめる所以です。

その厳しさは、開催地を南米に移した現在も同じです。開催時期は伝統的に不変なため、真夏の南米大陸が舞台となりました。時に50度に越える気温の砂漠地帯、またスコールが行く道が流されることも。アンデス山脈やボリビアでは3000メートルを超える高地で過ごす時間も長く気温変化が大きいのも南米ダカールの特徴です。4000mを軽く超える高地で競技区間が行われることもあり、選手たちは肉体的にも精神的にもダメージを負う環境で長距離ラリーを戦うのです。マシンも同様。今なおダカールラリーは生き残ることこそ勝利への第一歩なのです。

Q パリにもダカールにも行かないのに、なぜ「ダカールラリー」っていうの?

A 最初はパリ~ダカールで行われていたからです。

1978年にはじまったダカールラリーは2018年に40回目の記念すべき大会を迎えます。

ダカールラリーは、2018年に40回目の記念すべき大会を迎えます。この歴史ある冒険ラリーの1978年に行われた第1回大会は、パリのトロカデロ公園をスタートしフランス国内を南下。地中海をフェリーで越え、アフリカ大陸へ。そこからサハラ砂漠を越えてセネガルの首都ダカールへ、3週間に渡る戦いの末にゴールしていました。大会の正式名称には、スポンサー名を使用したり、途中の通過国の地名を入れるなどされてきましたが、この強烈な冒険ラリーの愛称こそパリ~ダカール、パリ・ダカでした。

そして、回を重ねるごとに過酷さと刺激を求めたラリーは、ついにパリ~ダカールという枠を飛び越えます。1992年に初めてゴール地点が変更され、パリ~ケープタウン(南アフリカ)というアフリカ大陸を縦断するルートに挑みます。当時の主催者はそれでも、ラリーの名称からダカールの名を外さずに、DAKAR 92と呼んでパリ~ダカールの歴史と伝統を堅持したのです。その後も、94年にはパリ~ダカール間を往復するパリ~ダカール~パリ、97年にはダカール~アガデス(ニジェール)~ダカールというルートで行われます。2000年にはダカール~カイロ(エジプト)、03年はマルセイユ~シャルム・エル・シェイク(エジプト)と、ダカールの名のもと、歴史を重ねたのです。パリをスタートして行われた大会は、02年の第24回大会が今のところ最後です。

現在は、大陸さえ飛び越えて、南米に舞台を移して行われていますが、その世界一過酷なラリーの伝統を踏まえて、今も大会名はダカールラリーなのです。

Q 南米大陸で開催されるダカールラリーはいつ始まったの?

A 2009年の第31回大会から始まり、2018年で10回目です。

南米での開催は2018年で10回目。ダカールラリー2018は、ペルー~ボリビア~アルゼンチンの3カ国を廻るルートで開催されます。

世界中から注目を集めるダカールラリーは、テロの脅威にさらされ、2008年はスタート直前で中止という決断が下されました。翌09年、主催者のA.S.O.はダカールラリーの舞台を、サハラ砂漠から南米大陸へと移す決断をします。そのときのコースは、アルゼンチンのブエノスアイレスをスタートし、チリのアタカマ砂漠をめぐり、再びブエノスアイレスへと戻る周回ルートでした。

以降、アルゼンチン、チリ、ペルー、ボリビア、パラグアイなどラリーが通過した国は増え、2018年のダカールラリー2018は、ペルー~ボリビア~アルゼンチンの3カ国を廻るルートで開催されます。