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DAKAR RALLY 2013

ダカールラリーとは

単なるスピードレースではない

マシンには、スピードはもちろんのこと、砂漠や泥地などさまざまな路面状況への対応力と、長時間にわたって走り続けられる耐久力が必要とされます。そして、ライダーは、効率よく目的地にたどりつくためのナビゲーション能力、過酷な環境を走りぬく体力に加え、非常に高度なライディングテクニックが求められます。

また、ダカールラリーは、チームでの戦いでもあります。想定外のマシントラブルにも対処できるメカニック(マシンの整備担当者)、チームを正しい方向に導く監督、最適なコースを考える専門家など、多くのスタッフがライダーとともに戦います。

マシンの性能、ライダーの力量、そしてチーム力と、すべてが求められる中で競う姿が見られるのが、ダカールラリーの魅力です。

その歴史は30年以上

第1回大会が開催されたのは1979年。フランスのパリを出発し、アフリカ・セネガルの首都ダカールまでの約1万kmに及ぶコースで行われる「パリ・ダカール・ラリー」として始まりました。大会創始者であるフランス人のティエリー・サビーヌは、スタッフ集め、スポンサー探し、ルール設定、計測システム、さらにはラリーの進行に合わせて移動しなければならないスタッフの輸送手段の手配や、通過する国でのレース開催許可取得などに奔走し、この壮大なラリーのすべてをゼロから作り上げました。

第2回大会からは、大手自動車メーカーや二輪メーカーがワークス参戦直営チームによる参戦を開始し、1981年の第3回大会以降は、FIA(国際自動車連盟)とFIM(国際モーターサイクリズム連盟)の公認を受け、公式レースとして開催されるようになりました。以降、中止となった2008年を除いて毎年開催され、2013年は第35回大会となります。

世界一過酷なモータースポーツ

例年、全部門合わせて500台以上が参戦する中、完走車は参加台数の半分ほどで、少ないときには約3分の1しかいないという厳しいレースのため、「ダカールラリーは世界一過酷なモータースポーツ」と言われています。

砂漠地帯では連日40℃以上の気温となる中を走り、アンデス山脈を越えるステージでは雪がちらつくこともあるなど、厳しい環境の中を進まなければなりません。また、広大な砂漠や急流の川といった自然環境の中では、大きな穴が開いていたり、いきなり急傾斜が現れたりと、予想もつかない事態が頻発します。ライダーたちは、コースを読み間違えれば転倒のみならず、遭難の可能性まであるという、命がけのレースに臨みます。

Hondaのチャレンジ

第3回大会からモト部門に参戦を開始したHondaは、1989年までの9年間で、5回の優勝を果たしています。

初参戦となった第3回大会では、第1回・第2回を連覇したシリル・ヌヴーら4台が出場し、最高6位の成績を残しました。そして翌年、第4回大会でヌヴーが雪辱を果たし、Hondaとしての初勝利を挙げました。

その後、第5回から第7回までは、ほかのメーカーのワークス参戦も増えて競争が激しくなり、2位、3位、5位と優勝から遠ざかりました。しかし、1986年にヌヴーの優勝を筆頭にHonda勢が1-2-3フィニッシュを飾ると、そこから1989年まで4連覇を達成しました。

開催年 参戦台数 最高順位
1981年 4台 6位
1982年 4台 優勝
1983年 4台 2位
1984年 5台 3位
1985年 2台 5位
1986年 6台 優勝
1987年 4台 優勝
1988年 7台 優勝
1989年 4台 優勝