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語り継ぎたいこと 〜チャレンジの50年〜

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『個性のない技術は、価値が低い』。
いきなりHondaらしさが始まった / 1947

『個性のない技術は、価値が低い』。 いきなりHondaらしさが始まった / 1947

その試作エンジン第1号が、伝説のエントツエンジンである。本田は河島を相手に、ユニーク極まる新エンジンのアイデアを思い付き、"工場の床に描いて"見せたのだ。しゃがみこんで、床にアイデアスケッチを描くのは、終生変わらなかった本田の癖である。

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試作エントツエンジンの構造図
試作だけに終わったHonda初のオリジナルエンジン。凸型ピストンと凸型シリンダーを持つユニークな構造から、通称・エントツエンジンと呼ばれる

「商売だけ考えれば、6号無線機のエンジンをそっくりコピーすれば問題はないんです。一応は、性能が出てるんだから。ところが、もうその時から、おやじさんそのものなんだな。そのままなんてのをつくるのが、絶対に我慢できない。マネするのが嫌なわけですよ」

河島は、本田の口での説明と、大ざっぱなスケッチを基に、懸命に設計図にしていった。

後々、エンジニアたちの設計に、
「どこが新しいんだ?どこがヨソとちがうんだ?」
と、真先に聞くのが口癖だったように、本田の初作品エンジンも、通常のエンジンとは異なるものだった。

エントツのニックネームが残るように、凸型のピストンと凸型のシリンダーヘッドを持ち、中央掃気という変わった掃気方式を採る常識外れの2ストロークなのである。モーターサイクル用エンジンにこの方式が使われた例はない。

このエンジンの狙いは、2ストロークの欠点を減らすことと、性能の向上だった。すなわち燃料の節減とパワーアップである。だが、このエンジンは生産に移されないまま開発をやめる。当時の工作精度も材料もアイデアに追い付かず、トラブル続出だったという。

しかし、設計図も試作品も消失していた幻のエントツエンジンは、半世紀近く経った1996年に、よみがえった。Honda歴代製品のミュージアム、Hondaコレクションホール(以降、HCH)のために、レプリカがつくられたのだ。この計画を推進したのは、HCH設立プロジェクトのリーダーを務めた佐藤允彌(まさひろ)であった。

再生を担当した恩田隆雅(現、本田技術研究所・チーフエンジニア)によると、現代の工作技術をもってすれば、それは本田の思い入れ通り、同時代の2ストロークエンジンのレベルを越えるパフォーマンス、特に、明らかな省燃費ぶりを発揮して見せたという。

理論的には正しい方向の1つ。ただし、前衛に過ぎたがゆえの失敗。それは、この後のHondaで何度も起きる。いみじくも最初のエントツエンジンの試作が、まさにそれであった。しかし、転んでもただでは起きない。失敗の経験を、後に必ず成功の糧にしてしまうのも、Hondaだった。

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