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語り継ぎたいこと 〜チャレンジの50年〜

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『姿の良い製品は内容も充実している』。
独創のHondaは、独自の美しさ / 1957

『姿の良い製品は内容も充実している』。 独創のHondaは、独自の美しさ / 1957

1957年5月、Hondaは第6次増資で、資本金3億6000万円となった。そして8月、Hondaは画期的な製品を創り出した。それは初めて、"つくった"ではなく"創った"と書くにふさわしいモーターサイクルだった。この年の9月に発売されたドリームC70が、それである。ドイツ車NSUスーパーマックスから受けた影響を感じさせながらも、これはもはや、本田が望んだHondaらしさ、独自の個性を強く発揮し始めた第1号車である。

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エンジンからスタイリングまで、Hondaの創造力を強くアピールした第1号車、ドリームC70。『神社仏閣スタイル』と呼ばれる独自のデザインは、本田宗一郎が自ら指示して生まれたものである

ドリームC70は、全身でHondaであることを主張していた。『Hondaエンジン開発30年史』には、Honda初の2気筒250ccOHCのエンジンからスタイリングまでが、
「独創のアイデアに満ちていた」
と、誇りを込めて書かれている。

量産の250ccの中排気量4ストロークエンジンは、単気筒が主流で、2気筒はほとんど例がない。これは、このころ急激に性能を上げて台頭してきた2ストローク2気筒エンジン車への、4ストロークのHondaからの回答だった。

C70は、4億5000万円の工作機械の力を駆使した最初の製品でもあった。たった1年前までは考えられなかった、2輪先進国への輸出も可能な国際クラスに達した商品が、初めて誕生したのである。
パワーは国産同クラスの2ストローク車を越え、価格は安かった。7400回転で18馬力。高回転・高出力のHondaの第1号車だった。あまりの高回転に、耐久性を危ぶむウワサも立てられた。

本田の最初の著書『ざっくばらん』には、こんな一節がある。

「うちは馬力アップに力点をおいている。しかしHondaは回転を高くして馬力を出しているから、エンジンの寿命が短いと非難する向きもあるようだが、そういう考え方をするメーカーのエンジンなら長持ちしないかもしれない。設計も悪いし、精度も悪ければ摩擦が多くて馬力が食われるから効率も低い。そこで無理に回転を上げると、ぶっ壊れるに決まってる。自分のところが壊れるといって、Hondaのも壊れるというのは違う。そんなにHondaのエンジンが悪いのなら、買い手がつかないはずなのにどんどん売れている。自分の技術レベルを物差しにしてよそのを推しはかるというミミッチイことはやめて、素直に自分のところではできないんだとカブトを脱げばいい。そこで初めて技術を高めなくちゃという気持ちが起きるわけである。(中略)4サイクルの2気筒なんて、あんな価格でできるわけがない、どこか内部で手を抜いているに違いないなんてかんぐることしか知らない。こういう人は専門家じゃない。やはり知ったかぶりは技術の大敵である」。