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語り継ぎたいこと 〜チャレンジの50年〜

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『世界一であってこそ、日本一』。
4億5000万円の輸入工作機械購入を決断 / 1952

『世界一であってこそ、日本一』。 4億5000万円の輸入工作機械購入を決断 / 1952

「『世界一でなけりゃ日本一じゃねえんだ!』という逆説ロジックをぶちかまされて、あっけにとられたのは1952年でしたよ。3月に白子の古い工場を買って、大改修することになって、建設を手伝うために浜松から呼ばれたころです。戦争中、飛行機部品をつくっていた工場で、古い機械が何百台も残ってました。これ使うんですかと聞いたら、『こんなものを使ったってロクなものはできない、全部売っちまえ!』と。そのころ、従業員を集めてリンゴ箱かミカン箱かに乗っかってしゃべった演説で聞きましたね。
おやじさんは座談はうまいし、年とってからは講演もすごく上手だったんですが、あのころの演説は、気持ちが先へ行っちゃって、言葉がツッツッツッとジャンプして、何言ってんだか分からない(笑い)。顔は真っ赤になって、眼はギラギラして、ツバが飛んできて、大迫力だけどね。自分でも、これでは話が十分伝わらないと思ったのか、おやじさんは当時、出始めたばかりのテープコーダーに自宅で訓話を録音し、朝礼の時、録音機にしゃべらせて、本人は無言で横に立っていると言う珍風景もあった。おやじさんと同世代のベテランエンジニアの方々が当時、入社してきていましたが、まじめな人は真剣に悩んじゃう。マトモな理屈なら、まずは日本一であって、そうなる前に世界一とはおかしいじゃないか。おまけに、おやじさんの話は中間説明抜きだから、僕ら若い連中だって頭が混乱する(笑い)。あのホンダ月報を読んでやっと、あ、こういうこと言ってたのかと。どなたが書いたか(おやじさんが書くわけない)知りませんが、よく正しく聞き取ったと感心します。浜松弁が丁寧な標準語になって、話の筋がちゃんと通って(笑い)」。
と、塩崎定夫は言う。

後に塩崎は、これも国内の常識を破るプロジェクト・鈴鹿製作所の建設にかかわるとともに、日本最初の国際的レーシングコース・鈴鹿サーキットの建設では先頭に立った1人である。
「そのころは、私もすっかり世界的視野に立っていたから(笑い)驚きませんでした」。