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語り継ぎたいこと 〜チャレンジの50年〜

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『世界一であってこそ、日本一』。
4億5000万円の輸入工作機械購入を決断 / 1952

『世界一であってこそ、日本一』。 4億5000万円の輸入工作機械購入を決断 / 1952

「金を使うより、知恵を使え!」。
これが、エンジニアにかけるハッパだった本田だが、どんな知恵でも解決できない大問題があった。

工作機械である。部品の精度を今以上に高めようとすれば、ネックは工作機械そのものの精度だった。ドリームE型の大ヒットとカブF型の爆発的な売れ行きで、業績こそめざましく向上していたものの、こと部品の工作精度に関しては、本田は全く不満だった。世界一を目指すと豪語しても、従来の工作機を使っている限り、越えられない限界のあることは、自分自身が、だれよりも知っていた。

1952年6月、Hondaは第2次増資を行った。資本金600万円。藤澤は専務取締役に就任した。
そして10月、総額で4億5000万円にも及ぶ最新鋭の輸入工作機械購入計画が決定される。

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4.5億円の工作機械輸入を決断した本田は、1952年11月、アメリカに旅立った。羽田空港に見送りに来た家族とともに

1952年10月号のホンダ月報には『世界的視野に立って』と題した本田の一文がある。いつにも増して、宗一郎の日ごろの想いが、次々とあふれ出る文章である。

「つねづね申し上げておりますように、私は良品を安価で造って顧客にご満足いただくことを念願として努力しておりますが、性能の点でも、外観の点でも、また価格の点でも、完全にご満足を得ているとは思いません。(中略)
9月の生産はドリーム号は1000台を超え、カブ号は5000台を突破しました。(中略)
けれども、これはわが国、日本において第一流になったということで、一度眼を世界的視野に転じます時、現在私たちが到達しておりますレベルはまことに恥ずかしく寒心に堪えないものであります。本年の年頭の辞にも申し上げましたように、私の願っておりますのは製品を世界的水準以上にまで高めることであります。私は、日本の水準と英米等先進国の水準との開きの、あまりにも甚だしいことをよく知っております。(中略)
われわれの創意工夫を生かし実現するには、優秀な機械がなくてはなりません。"弘法は筆を選ばず"と言ったのは、昔の譬(たと)えです。そこで私は、一大決心をもって、世界第一流の工作機械を購入することにしました。既に注文したもの、目下輸入許可の手続き中のものなどを併せますと、3億円に上ります。(中略)
外国車の輸入制限によって自分の仕事を守ろうとするような鎖国的な考え方には、私は絶対に与(くみ)しません。技術の競争は、あくまで技術をもってすべきであります。(中略)
どのような障壁を設けても良い品はどしどし入って来ます。(中略)良品に国境はありません。(中略)日本だけを相手にした日本一は真の日本一ではありません。(中略)一度優秀な外国製品が輸入される時、日本だけの日本一はたちまち崩れ去ってしまいます。世界一であって初めて日本一となり得るのであります。(後略)」。

これを、既に結果の分かっている半世紀後の今読めば、資本金600万円の企業が、なぜここまで莫大な金額の輸入機械を望んだか、驚きながらも理解できる。だが、その当時の周囲の眼には、"身の程を知らない無謀な冒険"としか見えなかったろう。

しかし、ここから読み取れるのは、熱い言葉とともにある、むしろ冷静な技術者の論理である。あくまでも自由な自主・独立の思想である。戦中派と呼ばれる世代に属しながら、本田はまさしく世界的視野を持つ、今までにない新しい日本人だった。

「私は、ずいぶん早くに本田さんから"世界"という言葉を聞いています」
と語るのは白井である。

「入社間もない1950年の夏で、ダイキャストに関連してでした。『砂型でアルミ部品をつくるより、ダイキャストでつくったほうがどれほどいいのか、どういう点で勝っているか、ちゃんと説明できれば、通産省が補助金を40万円出すと言っている。だから、リポートを急いで書け』と、突然命じられました。そこで、とにかく砂型との優劣やコストを比較してみた。そりゃ大量生産の部品をつくるのならダイキャストがいい。でも、Hondaは、これに見合うほど製品をつくっていない。月に100台か、せいぜいが200台です。最低でも1000台、1万台ぐらいつくるのでなければ、コストが合いません。困ってしまって『どう計算しても砂型が有利でダイキャストが不利です。書けません』と言ったんです」。

計算が緻密だったせいか、本田は、白井の返事に怒り出しもせず、珍しく諄々(じゅんじゅん)と説いた。

「『現実は、そうだよ。職人が1個ずつ砂型でつくった方が今んところ手っとり早いし、安い。けどなぁ、日本の将来は工業立国しか手がないんだ。世界を相手の商売となったら、1番大事なのは量産性のあること、部品が均質であることだ。だからウチはつらいのを承知で、最初っからダイキャストでやってる。そこに力点を置いて書け』と。正直言って、吹けば飛ぶような町工場の社長です。当時大企業の社長でも口にしない"世界を相手に"なんてことを、本気で言ってるんです。びっくりしながらも、この人はただの職人あがりの技術者じゃないと思った。スケールが違うぞ、と。リポートは、言われた通りに書きました」(白井)。

ちなみに、その補助金交付は無事認可されたのである。