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語り継ぎたいこと 〜チャレンジの50年〜

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世界一への挑戦状。
『マン島TTレース出場宣言』 / 1953

世界一への挑戦状。 『マン島TTレース出場宣言』 / 1953

『マン島TTレース出場宣言』が公表されたのは、1954年の3月20日だった。本田と藤澤が、いつごろからこの計画を話し合ったか、定かではない。

かつて、連日連夜、2人で夢を語り合ったという出会いのころに、本田は、いつかこのレースに出る夢も話していたかも知れない。

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1954年3月、マン島TTレース出場宣言が発表された。本田の意をくんで、藤澤が自ら文案を練った。社内向け(上)と、社外向け(下)の二つが書かれていた

まさに檄文(げきぶん)というにふさわしい熱気あふれる文章は、本田の意を十分にくみ取った藤澤が、自ら書き上げた。書かれた時期は馬場と大村が帰国した後である。

宣言文には、
『私はかなり現実に拘泥せずに世界を見つめていたつもりであるが、やはり日本の現状に心をとらわれすぎていた事に気がついた』
とある。

サンパウロ遠征で、"井の中の蛙"だったことを痛感した本田の、持ち前のチャレンジンングスピリットが燃え上がったのだ。一刻も早く、世界に追い付くための競争の場が必要だった。市場で競うのはまだ無理である。先進国に輸出できる製品はない。だが、レースなら、世界との競争の現場に飛び込めるのだ。

社内向けの宣言文のほかに、もう一つ社外向けのあいさつ文がある。代理店・販売店・協力メーカー・マスコミなどに配布されたもので、内容は宣言文とほぼ同じだが、より長文である。そこには、
『これを機会に、自動車工業の輸出が始まりますならば』
という意味深い一節がある。

日本市場だけを頼りにする現状を抜け出さない限り、真の成長は望めない。本田と藤澤の、さらに先を見た大きな目標が、はっきりと現れている。