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語り継ぎたいこと 〜チャレンジの50年〜

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『マン島TTレース初出場』。
若者たちは、力いっぱい世界にチャレンジした / 1958

『マン島TTレース初出場』。 若者たちは、力いっぱい世界にチャレンジした / 1958

田中はマン島初試走の印象を、次のように語る。

「舗装されてる路面でレースしたことなんか、一度もないんです。浅間はダートでしょう。当時は国道だってほとんど砂利道ですから。マン島に着いて、日本とのあまりにも違う現実に、身が震える思いでした。道路の両端には歩道があって石垣が続き、中央はかまほこ型になっている。この一般道を走るのがマン島TTレースなのか。とうとうここまで来てしまったか。気迫でやるしかないな。これが第一印象。コースを覚えるため周回を重ねたけど、あまりの難しさに頭の中はパニック状態です。途中で休憩してると、島の人たちが珍しそうに話しかけてくるんだ。『おまえ、日本人か。どこのオートバイで出るんだ?』って。日本のHondaだ、って言っても、日本人はオートバイなんかつくれないと思ってるらしい。疑わしそうな目で、ベンリイを見るんですよ(笑い)」。

田中は、メイド・イン・ジャパン、メイド・バイ・Hondaを繰り返したが、信じてもらえなかったと言う。
ベンリイのエンジンは快調だったが、タイヤはブロックがはがれて飛び、チェーンはたちまち伸びてローラーが飛び、毎日交換。プラグは電極が飛んで、ピストンには穴が開くなど、メイド・イン・ジャパンの部品は、まだ世界のレベルに遠いのを思い知らされた。日本から持っていったヘルメットも、主催団体のオートサイクル・ユニオンの検査をパスできず、イギリス製のクロムウエルを使うように指示された。

「僕らは1カ月も前から1番乗りでマン島に来たんです。ほかのチームはそんな早くから来ない。そうだ、世界GPレースはマン島TTレースだけじゃないんだ、と後から気が付いたくらいでね。そのうち、みんなが現れてトレーニングを始めたら、これがやっぱり速い。おやじさんより、もっとショック。こっちは、これからすぐ戦わなきゃならないんだから」(河島)。

河島は、ライダーにどう指示するかを考えた。エンジンはともかく、ボトムリンクのフロントサスペンションは、もう時代遅れに見えたし、フレーム剛性もブレーキ能力も心配だった。Hondaが荒川の河川敷につくったテストコースは、フラットな直線2本をつないだ単純なもので、そこでのデータなど、それぞれ異なる74ものカーブがあり、アップダウンも多いこのコースでは役に立たない。

「ライダーもメカニックも、あんまり差があるんで、最初ガクッときた。ところが、すぐ回復した。よーし、今年はともかく、来年こそ見てやがれ!と、闘志満々になっちゃったんです。僕も含めて、もう来年もやる気になってる。若さというか、バカさというか(笑い)。この辺が、実にHondaっぽいんだな」(河島)。

船便に間に合わなかった4バルブのシリンダーヘッドが航空便で届いた。3台だけ頭をこれに付け替えて走ることになった。

「マン島まで来ても日本と同じで、監督以下、全員遅くまで働きました。僕らとすれば、見物人のいない夜のほうが、のびのび仕事できる。そしたら、日本人は天井のネズミ、なんて新聞に書かれましたよ。夜中にちょこちょこ動き回ってる、って」
と、メカニックの廣田は苦笑する。土曜も日曜も働いていると、日本人は能力が低くて能率が上がらないのだろう、と書かれた。

予選では、RC142の谷口の12番めから、RC141の田中、RC142の鈴木義一・鈴木淳三と、15番めまでのグリッドを、そろってHondaが占めた。
6月3日、いよいよ決勝レース。

「スタートラインに並んだ時、河島監督から『無理するなよ』の一言。あれで肩の力が抜けた。途端に、それなら自分なりにできるだけ走ってやるぞ、って。頑張れって言われたら、カチカチに固まったかも知れない。監督の読みが深いんだ」(谷口)。

「あれを耳元で言われて、膝の震えが止まった。でも、無我夢中で走っちゃったのが、正直なところです。向こうの連中の走りを見てラインどりとかブレーキングポイントを学ぶなんてのも、そんな簡単なものではないね。コーナーで何度も突っ込みそうになったし、運任せ。完走できたのは、マシンのおかげです」(田中)。

「完走しろよ、って僕は言ったんです。途中でマシンが壊れたら、データが採れない。2年目、3年目を狙う気ですから、絶対1台だけでも完走してくれなければ困るんだ。で、全員に、無理するな、と言って歩いた。そしたら4台も完走。予想外ですよ」(河島)。

「RC141のハントが、コケてリタイアしましたけど、みんな快調でピットは暇でした。7周目に淳ちゃんのリアのブレーキロッドのピンが折れて飛んじゃった。この程度のことは浅間で慣れてるから、ちょいと応急修理してピットアウトさせました。エンジンは全くトラブルなし。10周、173.6kmを走り切りました」(廣田)。

優勝はMVアグスタのプロビーニ、2位がMZのタベリ、3位がドゥカティのヘイルウッド。Honda勢は、谷口が6位、鈴木義一が7位、田中が8位、鈴木淳三は10位だった。谷口はシルバーレプリカ、鈴木義一と田中はブロンズレプリカを獲得、さらにメーカーチーム賞も獲得した。

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6位に入賞した谷口尚巳とHonda RC142。続いて鈴木義一が7位、田中ヘ助が8位でゴール。メーカーチーム賞を獲得した

「監督が、電話でおやじさんに報告しましたね。『団体優勝おめでとう。よくやった』って言われたそうです。翌日になったら、だいぶ世の中変わってました。新聞の第一面にHondaチームのことが載ってる。もうネズミがどうとかなんてのはなくなって、よく読めないが、褒めてあるらしい。笑ったのは、Hondaベンリイ号っていう日本語のロゴが天地逆さまになってるの。向こうの人はもっと読めないよね(笑い)」(飯田)。