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語り継ぎたいこと 〜チャレンジの50年〜

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独創で『無から有を生じる』。
カブF型の販売店開拓DM戦略 / 1952

独創で『無から有を生じる』。 カブF型の販売店開拓DM戦略 / 1952

「どんなことを話されたのか、2人とも多くを語っておられないので、想像するしかありませんが、よほど心底、通じ合われたんでしょうね。だからこそ、あんなに個性の違うお二人が、今、Honda哲学といわれるものの基本のすべてを、あれほど完全に共有できたのだと思う。例えば、本田さんは『事業経営の根本は、資本力よりもアイデアだ』と言っていますが、これは藤澤のものでもある。どちらも知恵で頑張ったんです。ま、資本力がなかったから、アイデアを出すしかなかったが(笑い)。言わばお二人は、知恵比べで会社を育てた。私たちの世代でも、もっと後の世代でも、お二人をじかに知ってる人なら、たぶん同意見だと思いますが、本田さんと藤澤さんは、無二のパートナーであると同時に、互いに切磋琢磨し合う、ライバル同士でもあった。『おれの世界は、おれに任せろ』、『どうだ、おれのやった世界を見てくれ』と競い合う、素晴らしい名コンビだったのです」
と、川島は言う。

カブF型の商品特性を生かし、思いもよらぬアイデアで、無から創り出した独自の販売網。売る人・藤澤は、つくる人・本田の期待に応え、見事なパフォーマンスを見せたのだ。

このころ藤澤は、ユニークな月賦販売、すなわちローン・システムのアイデアも実現させている。定価2万5000円のカブF型でさえ、当時の平均的サラリーマンの初任給3カ月分以上だった。そこで、画期的なローンの仕組みを考えたのである。例えば、12回分割払いなら、お客さまに12枚の約束手形を切ってもらい、販売店が裏書きしてHondaに渡す。この制度は、お客さまばかりか、Hondaにとっても良いものであった。確実に代金回収ができ、万一支払いに問題が起きても、1件当たりが少額のため、比較的リスクは少ないのである。

「藤澤さんについて、大事なことを言っておきますが」
と、川島は言葉を加えた。

「あのDM戦略の時に、三菱銀行京橋支店さんが、言わばHondaの身元保証をしてくれた。そのころにはまだ三菱銀行さんからは融資は受けていなかった。ですが藤澤さんは、取引を始めた時から一貫して、お付き合いの仕方・態度を変えていません。いわゆる経営・経理のディスクロージャー(情報公開)をやっています。いい時も、悪い時も。藤澤さんは、私たちに教えてくれました。『銀行さんはなぁ、かくかくしかじかで、これはこうだけれど、次にはこうなりますと、何も隠さず、条理をつくして現在と先行きを説けば、かならず分かってくれるんだよ』と」。

ともあれ、カブF型は大量生産に入った。10月に6000台、12月に9000台と、絶好調が続いた。