語り継ぎたいこと 〜チャレンジの50年〜

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独創で『無から有を生じる』。
カブF型の販売店開拓DM戦略 / 1952

独創で『無から有を生じる』。 カブF型の販売店開拓DM戦略 / 1952

「反響はすごかったですよ。5000軒くらいからすぐ反応があってどんどん増えていく。委託販売が常識の2輪車業界に、前金を払ってもらう商売をぶっつけて、しかも、ぴたっと当てた。私に言わしめれば、藤澤武夫は、度胸がよくて非常に緻密なバクチ打ちです(笑い)。アッという間に、『自前の販売網』をつくり出すのに成功したわけですからね」(川島)。

同時に始まったのが、2輪車業界では今までにないダイナミックな宣伝活動だった。当時人気絶頂の日劇ダンシングチームのダンサー50人が乗ったカブF型が、東京・銀座の大通りを華やかにパレードしたのである。沿道の観客は拍手喝采、マスコミも全国に報道した。女性も乗れるカブF型の名は、一挙に広まった。

その上、販売店をフォローする戦術も展開された。社用に軽飛行機を買い、全国に飛ばしてカブF型の広告チラシを空からまいた。もちろん、その地域の販売店名入りである。

「販売網をつくるために、お客さまの購買意欲を刺激する一方で、販売意欲を刺激する。要するに、買いたい気持ちと売りたい気持ちを、同時に発生させるんですね。この相乗効果のほどを、目の前で見せつけられるわけですから、いい勉強になりました」。

後年、川島がアメリカに新市場を開拓する時、この経験は大いに役立ったという。

「藤澤さんに『松明は自分の手で』という題名の著書があります。『アカリは自分で持って歩かなけりゃ、先頭を歩けないんだ。他人のアカリで歩くのは、後に付いて行くだけなんだ。道に迷わないしつまずきもしないだろうが、リードすることはできないんだよ』と題名の意味はこう言ってるんです。販売網でいえば『出来上がってるものに乗っかってるようじゃ本当の商売はやれないよ』なんです。『おれたち自身の思想・方向で存分にビジネスできる販売網をつくる』のが、藤澤の一貫した販売網戦略でした」(川島)。

イニシアチブをHondaが取る。市場を判断し、生産計画を立て、それに基づいて資材手当をし、協力メーカーに発注する。すべての情報が自分の手中にあり、自身で判断する状況をつくる。『自前の販売網』は、それを実現するための不可欠の前提であった。

本田と藤澤は、出会ってからしばらくの間、毎日毎晩、夜を徹して語り合ったという。語り尽きない高揚した日々が続いたという。