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語り継ぎたいこと 〜チャレンジの50年〜

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『製品に対しては、あくまでも親切であれ』。
最初の製品から、それは実行されていた / 1948

『製品に対しては、あくまでも親切であれ』。 最初の製品から、それは実行されていた / 1948

「『お客さんに迷惑をかけるようなものをつくるな!』は、ここへ勤めた時から、イヤというほど、おやじさんから始終聞かされていました。『モノをつくる時には、それと1番長いこと付き合わなきゃならない人のことを考えろ』と。『1番長いのは、お客さんだろ。その次は売った店の修理工だろ。その次が、ウチの工場の人間だ。つくった本人のくせに、1番短いのは設計者だ。ずっと使う人の身になって考えたら、不親切なモノなぞ設計できねえはずだ!』と、おやじさんならではの言い方でね」
と、河島はじめ、当時のだれもが口をそろえる。

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現在、Hondaコレクションホールに保存されている初期A型自転車用補助エンジンのアルミ燃料タンクは砂型上下2分割鋳造でつくられた。巣穴からの燃料漏れを防ぐためにウルシを下塗りしたという。"裸人が天を駆ける"Honda草創期のマークが、かすかに残っている

エントツエンジン再生の時、姉妹エンジンであるA型を詳しく観察した恩田は言う。

「びっくりしちゃいましたよ。いろんなところに、いわゆる"親切設計"がしてあるんです。それに気付いたのは分解した時で、あれ?このエンジン、ナット外しても、どこからも部品が落っこちないぞ、おかしいなぁ?って。例えば、クランクシャフトや減速機のベアリング部ロックナット、つまり、回転体を締め付けるネジなんですが、これがもし緩んでも、すぐにはトラブルを起こさない構造にしてある。ネジが完全に脱落しないか、脱落してもすぐには壊れないような工夫がしてある。具合がおかしいぞ、と気が付く間ぐらいは保つようになってるんです。安全性への気づかいですね。あのころはネジの精度が低い時代で、ナットなんかいくら締めたって緩むものと決まってた。だから、こんな工夫をしたんでしょうね」。

メンテナンス性にも、同じように細かな心づかいがしてあった。

「今みたいに専用特殊工具が用意されてないから、修理する人が困らないように、特殊工具なしで分解・組立ができる工夫がされてる。これも結果的には、お客さんへの親切です」(恩田)。

現代にも生かすべき設計思想がA型に込められているのを再発見して、恩田は感動したという。

ともあれ、『HONDA』の名を初めてタンクに飾ったA型は、大好評で迎えられる。例によってブローカーの人たちが、出来上るのを待ち構えて買って行った。浜松の近辺では、
「これに付けてくれ」
と、お客さまが工場へ自転車を持ち込んで来たし、自転車店ではA型を自転車に組み付けして販売する店が増えてきた。中には補強した自転車フレームを自製して売ることから始まり、ついにはHondaを見習ってエンジンの製造まで始めて、メーカーになってしまうところも現れるようになる。Hondaの成功に刺激されて、浜松だけでも大小とりまぜて40余りのメーカーが出現し、浜松はたちまち日本一のポンポンメーカーの街になっていくのである。ポンポンとは、補助エンジン付き自転車の、浜松風の呼び名である。