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語り継ぎたいこと 〜チャレンジの50年〜

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『失敗を恐れたらチャレンジはできない』。
本格的2輪車・ドリームD型登場 / 1949

『失敗を恐れたらチャレンジはできない』。 本格的2輪車・ドリームD型登場 / 1949

D型の発売された1949年は、アメリカ政府とGHQからのインフレ抑止の命令で、日本政府がデフレ政策を実施させられた年であった。突然、不況の嵐が吹き荒れ始めたのだ。販売不振の理由は、不景気ばかりではなかった。このころからモーターサイクルの市場は、音のカン高い2ストロークより、低音で静かな4ストローク車を選ぶ方向に変わっていた。それに加えて、D型独自のメカニズムが、かえって足を引っ張ったのである。

「おやじさんは、今までのオートバイとは違うオートバイを創りたかったんだと思う。オートバイの運転で、1番コツが要るのはクラッチ操作です。クラッチミートは、マニュアルトランスミッションの自動車も同じだけど、ヘタをすればエンストとか、ガクンと飛び出すとか、どっちにしろ、初心者には苦手ですよ。だから、それをなくしちまおうと考えた。コツや要領抜きで、だれでも簡単に扱えるオートバイにしたかったフシがある。
本格的なオートバイは今でもそうですが、クラッチミートは手動です。ハンドル左のクラッチレバーを手加減で操作する。慣れればどうってことないんだが、おやじさんの考えからすると、それでは万人向きじゃないということだったんでしょうね」
と、河島は推察する。

すなわち、ドリームD型は、操作に慣れを必要とする手でのクラッチ操作を"省こう"とした画期的なモーターサイクルであり、当時の常識への果敢なチャレンジだったのである。

D型の実車を観察すれば分かるが、通常ならクラッチレバーであるはずの左手のレバーは、何と前輪ブレーキのレバーである。右手の短いレバーは、エンジンのキック始動を楽にしたり、エンジンをストップさせる時のためのデコンプレッション(圧縮抜き)レバーになっている。つまり、クラッチレバーは付いていないのである。

だからD型のクラッチ操作は簡単だ。シフトペダルを左足のツマ先で前に踏み込めば、一速に入る。足を離せばニュートラルに戻り、ペダルをカカトで後ろに踏めば2速に入る。コーンクラッチ機構による半自動的なクラッチシステムを持つ、日本最初の2輪車だった。

「こりゃあ乗りやすいオートバイだと、最初は大した人気でした。ところがしばらくすると苦情が出てきた。D型はローとハイの2段変速。ただし、ローに入れたまま走ろうとすると、常時、ツマ先でペダルを踏んでなきゃならない機構なんですよ。だから長い坂道なんかだと、ローを"踏みっぱなし"のツマ先はくたびれてくる。クラッチ操作なしはいいが、これでは困ると。そういうわけで、売れ行きが急に下降した。お客さんにとって良かれ、という想いが先走りをし過ぎての、これまた失敗でしょうね。不景気と重なって、こりゃヤバい、です。Honda最初のピンチでした」
と、河島は苦笑する。