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語り継ぎたいこと 〜チャレンジの50年〜

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箱根越え伝説のドリームE型誕生。
『4ストロークのHonda』、ここに始まる / 1951

箱根越え伝説のドリームE型誕生。 『4ストロークのHonda』、ここに始まる / 1951

ドリームE型は、Honda最初の4ストロークエンジン車である。日本の2輪車業界では、1年ほど前から、競うように4ストロークエンジン車が生産され始めていた。先に述べたように、市場の嗜好が、2ストロークから4ストロークに移り出していたのだ。

後に『4ストロークのHonda』と呼ばれるようになるHondaだが、むしろ一歩遅いスタートだった。しかし、多くの4ストロークエンジン車がコストの安さや工作の容易さから、サイドバルブ方式を採っていたこの時代に、HondaはOHVを採用していた。しかも、4ストロークも2ストロークも含めて、同時期の150ccクラスの国産車に比べて、はるかに大きなパワーを出していたのである。

「おやじさんは、本格的なオートバイは、最初から4ストロークでやりたかったはずです。当時の2ストロークは、理論的にまだファジーで、しかも本来燃やすべきではない潤滑油を燃やすエンジンですから、おやじさんにすれば、金も設備もない時の、我慢の過程だったんです。この翌年のカブF型を最後に以後20年間、Hondaは4ストローク一筋。そういう意味で、E型は、おやじさんにとって"つくる喜び"を感じた最初の製品でしょう」(河島)。

フレームは、D型と同じチャンネルフレームだったが、クラッチはD型での失敗に懲りて、湿式コーンから乾式多板に変えた。操作も左手のレバーで行う常識的なものになっていた。

「独創的過ぎて駄目だったところを反省して、コンベンショナルにした。"後戻り"だけではHondaらしくないから、エンジンで差を付けた。いい意味で、やはりありふれたクルマじゃない。これはよく売れましたね。お客さんにも、販売店さんにも喜ばれました」
と、河島は言う。

E型は10月に発売された。D型が月産最高160台程度だったのに比べ、E型は半年後に月産500台、3段変速になった1年後に月産2000台、3年後に年間販売3万2000台を記録する。この時期のHondaの危機を救ったばかりか、本田の予言の通り、HondaはE型によって大きく伸び、飛躍のきっかけをつかんだのである。

この年の9月、初めての社内誌・ホンダ月報が創刊された。
『3つの喜び』というHondaの基本理念となる言葉は、1951年12月号のホンダ月報に、本田宗一郎の文章として初めて現れている。

そして、翌1952年は、Hondaにとって新たな節目を迎える年となった。