モータースポーツの最高峰に挑んだ男たち 第2期 F1
第2世代のメンバーたちは、どうせやるなら圧倒的に勝つところまでもっていきたいと考えていた。そして、レースプロジェクトを、徹底的に科学的なものにする道を選んだ。
原因解析のためにテレメーターシステムを開発し、経験や勘ではなく、データで物事を判断し、だれがやっても同じ答えが出るようにシステム化を図った。
その結果、1986年には9勝を挙げ、続く1987年は11勝、1988年は16戦中15勝という快挙を成し遂げた。さらに、1989年はターボ時代からNAエンジンへとレギュレーションが変更された最初のシーズンにもかかわらず、11勝を挙げ、Hondaの常勝時代が続いたのである。
F1レースに初めてコンピューターを採り入れたのはHondaで、それが主流となってきた。Honda F1のコンピューター技術の発達について市田は言う。
「レース現場においては、制御系の部分が非常に大事になってきた。アクセル、ブレーキ、ギアシフトのタイミングなど、全部コンピューターで制御できてしまう。それまでは車体、エンジン関係の技術屋が経験と勘で引っ張ってきたわけだけれども、今度はふたを開けてみると、実は電気屋がF1を大きく支えてくれていたんですね」。
ドライバーの要求に対して、セッティングはキーボードで変えるため、ほとんど数値用語になる。例えば、燃料が濃い、薄いというのも全部コンピューターの言葉になって打ち込まれる。何回かそれを繰り返していくうちに、ドライバーが要求を出すと、エンジン屋と協力しながら、電気屋がセッティングを決めてしまう。F1レースの中で、電子制御技術が占める割合が大きくなり、コンピューター化はすごい勢いで進んでいた。
「ところで君、今、一生懸命ドライバーと話して、全部レースセッティングを決めているんだけど、君はF1好きかい?って聞いたら、『好きでも嫌いでもないです』と言うんだね。『私にとっては、コンピューターの先に付いているものは、F1であれ、電気洗濯機であれ、私のやる仕事に変わりはないです』と。そういう人がF1を支えていたというのも一つの事実なんですね」(市田)。