モータースポーツの最高峰に挑んだ男たち 第2期 F1
2年目の1984年は、3月のブラジルGPから始まった。この第1戦では予想もしなかった2位と、周囲が驚くほどの好スタートを切った。ところがその後のレースでは、4位から6位には入賞するものの、華々しいスタートと比較すると、周囲の方がやきもきするような足踏み状態が続いていた。
「あまりに勝てないものだから、"勝利"という言葉はないのかなという思いが、脳裏をかすめていた時期だった」(川本)。
7月8日、ダラスGPの決勝当日は、摂氏40度の猛暑。オーバーヒートするマシンが続出した。
ウィリアムズ・Hondaが賢明だったのは、ドライバーのヘルメットの中を冷却するシステムをつけていたことだった。同チームのマシンは、エンジンにも車体にも問題はあったが、過去にワールドチャンピオンを獲っているロズベルグは、市街地コースに非常に強く、その力量をいかんなく発揮した。復帰後10戦目で、ついに初の勝利を挙げたのである。
連日連夜、試行錯誤を繰り返してきたメンバーたちは、チーフエンジニアの土師(はじ)守を先頭に、イギリスと日本の国旗を振りながらマシンに駆け寄り、抱き合った。川本はこのレースを、総責任者として現地で祈るような気持ちで観ていた。
「勝ったけれど、全然実感が沸かなかった。忙しくて、とんぼ返りでその日のうちにロサンゼルスへ帰ったんですよ。そして、食事に行ったら、そこで、アメリカン・ホンダとHRA(ホンダR&Dノースアメリカ)の仲間がビッグパーティーを用意してくれていて、"優勝おめでとう!"と大きく書いてあった。それで初めて、あっ、勝ったんだって、ジーンときたわけですよ」(川本)。
F1で世界一を証明するために始まった第2期は、着実に第一歩を踏み出したのである。