ムカデダンスが日本中で大流行
いよいよ本格的なイメージカタログづくりに取り組む。開発記号・SA-7は、既に有澤の頭の中にあった製品名・シティに置き換えられていた。そしてその後の広告・宣伝活動の基本コンセプトが盛り込まれたカタログが、スタッフたちの手で一気にまとめ上げられた。
ロゴマークは、都会(ビルの間)を走るトールボーイを意識した長体文字のCITYに、ビルのシルエットをアレンジしたものとした。話題性の訴求点を、当時、本社のあった原宿の街をイメージし、ファッション性と情報発信の二つの意味を持たせた、『シティはニュースにあふれてる』というキャッチフレーズで打ち出した。
さらに、広告イメージの表現としては、若者の感性を共有すべく、"リズム"にこだわり、音楽も若者らしい独自のものをつくろうと、新しいチャレンジを試みた。
「ニューヨークへ行ってミュージシャンを集め、シティバンドをつくろう」
という発想で、制作スタッフにニューヨークまで飛んでもらったりしたが、そんな中で、
「イギリスに面白いロックバンドのマッドネスがいる。踊りも面白い」
という情報を得た。日本では全くメジャーではなかったが、その特異さと新しさに引かれて採用を決めた。ところがこの企画がどうしても上層部の了解を得られない。
「面白い」
という一部の評価とは裏腹に、
「あんた、何考えてるんだ!」
と当惑の表情で再三の企画案が拒否された。
3度目のデモンストレーションの時、
「当初と変わっていないのなら、見る必要もない」
と渋る担当役員を、背後から抱えて無理やり見てもらう行動に出た有澤は、
「若い人は、いいと言ってくれてます。年寄りは駄目と言ってます。若者の2、3割の共感を得られれば、このクルマの目的は達成されます。Hondaの謳う若さという企業イメージでいきたいのです!」
と熱く訴えた。
「そうか、分かった。私が責任を持つからやりなさい」
という役員の言葉を聞いた時、思わず目頭を熱くしてしまった有澤は、
「ありがとうございます。頑張ります」
と答えたのであった。
役員の承諾を得た有澤たちは、マッドネスを日本へ呼び、録音、スチール撮影、CF撮影などを急ピッチでやり遂げた。滞在4日、実質2日半での制作であった。あの『ホンダ、ホンダ、ホンダ』の音楽に合わせたムカデダンスのシーンができた時、有澤は思わず、
「いいぞ!いいぞ!」
と心の中で叫んだ。
当時のHondaは年間販売台数30万台の壁が破れず、社内外とも沈滞した気運があった。有澤の気持ちの中には、この『ホンダ、ホンダ、ホンダ』で、みんな元気を出そうぜという願いを込めた意味合いもあったのである。
後日の全国営業所長会議の時、マッドネスの音楽が好評だったことに気を良くした有澤は、
「これをドリフターズのカトちゃん・ケンちゃんにやってもらえれば、世の中大いに沸きますよ!」
と口走ってしまったが、実際にCFが流れるようになった時、このことは現実のものとなった。さらには、学園祭やパーティーなど、日本中でムカデダンスと『ホンダ、ホンダ、ホンダ』のメロディーが流行をみせた。販促の話題性としては100%以上の効果を示したのである。