私はNSXの開発にこそ一切かかわれなかったが、4名の欧州の著名なジャーナリストとともに、上原氏の後期のプロジェクトであるS2000の開発には少なからず携わる機会を得た。
この欧州コンサルタント団の形成は、前述のスイスHonda社長 サージ氏の発案と呼びかけによるものであった。ジュネーブの近くの街で、最初のミーティングが行われ、Hondaの次期スポーツカーがどのセグメントをターゲットにしているかといった説明がサージ氏と上原氏の両名からあった。そのプランによれば、新型スポーツカーは、2リッターの正統派スポーツカーで、抜群の性能を備えつつも、ボディにはスチールを採用するなど、リーズナブルな価格の量産モデルを目指すとのこと。その後、用意されていた4台の異なる欧州メーカーのスポーツカーを交互に試乗した我々は、再び集まり、上原氏をはじめとする開発グループを囲んで、次期Hondaスポーツカーがどうあるべきか、意見を述べあった。
約1年後にニュルブルクリンクの近くで開かれた2回目のミーティングには、ダブルウィッシュボーン・サスペンションを備えたS2000の初期型プロトタイプが公道での試乗用に用意されていた。
試乗のあと、私を含む5名のコンサルタントは、それぞれに、Hondaが達成しようとしている2リッターの生産車用エンジンで240馬力という目標は少し高望みしすぎてはいないかという危惧を表明したり、低速および中速域でのトルク不足や耐えがたいノイズを指摘したりした。一方で、S2000の優秀なシャシーやオープンボディであるにもかかわらず構造的に剛性が高いことに対する称賛の声も聞かれた。
それからまた約1年が経ち、5名のコンサルタントとS2000開発グループによる最後のセッションがニュルブルクリンクの近くで行われた。
その場には、前回試乗したプロトタイプとは大きくかけ離れた、最終生産型一歩手前のプロトタイプが置かれてあった。ウェイトバランス改善のために、より運転席近くに移動させられたエンジンは、改良に改良を重ねて洗練され、トルセン・リミテッド・スリップ・デフが標準装備されていた。中速域でのトルクも改善されていたし、Hondaのエンジニアは何も言わなかったが、乗ってみて240馬力という目標も達成したのだなということが即座に感じられた。ピークパワーは8,300rpm時に発生、なんとレブリミットは9,000回転のところに刻まれている。ちなみに、このS2000のエンジンは、現在においても生産型エンジンとしてトップクラスの許容回転数を誇っている。そして、我々を何より感銘させたのは、S2000に世界で最も優れたマニュアル・ギアボックスが備わっていたことだった。
1999年、S2000が公式デビューした後に行われたプレス向けの試乗会に招待された私は、試乗会の公式プログラムとは別に、特別に独自で立てたプランに基づいて、私自身が意図的に選んだ南アルプスのいくつかの道へとS2000を連れて出かけた。S2000の優れた敏捷性と、精確無比なハンドリング、そしてその卓越した比類なきエンジンを味わいながら、私はその旅を心行くまで楽しんだ。
その後、若干マイナーチェンジが施されたものの、基本的な部分では、S2000はほとんど8年前のデビュー当初のままである。8年前より何倍も厳しくなった排ガス規制をものともせず、その卓越した性能は健在である。そして、我々が一番忘れてならないのは、この類まれなるスポーツカーが、究極のドライビングのためならば、静粛性や居住性の多少の犠牲をも厭わないというコアなドライバーたちをターゲットに、明確なコンセプトのもとに作られたクルマだということだ。
つまり、S2000は、いつまでも若者の気持ちを失わず、クルマをクルマとして操ることを愛し、山々を駆け巡り名もないワインディングロードでのコーナリングを楽しみ、チャンスがあればサーキットで限界ドライビングを試みる人々に向けてテーラーメイドされたクルマなのである。
しかし同時にS2000は、ごく普通の暮らしを営みながらも、気分の良い晴れた日に、突然思い立って真のスポーツカーのドライバーズシートに身を沈め、快適なドライビングを楽しみたい人々のセカンドカーとしても最適な、優れたクルマでもある。
我々に真の運転の喜びを与えてくれてありがとう、上原さん。心から感謝しています。
おそらく他の多くのスポーツカーファンも、私と同様に、あなたが新たなる場所で、我々スポーツカー好きのために、新たな貢献をしてくれることを望んでいるに違いありません。その日を楽しみにしています。