NSXとS2000、この日本が生んだ2台の卓越したスポーツカーを開発した男たちを率いた、上原 繁氏がリタイヤしたことを感慨深く聞いた。彼の新しい旅立ちに際し、私が愛してやまない、この偉大なる2台を改めて評価することによって、私の上原氏への贈る言葉としたい。

当時、Hondaにおける私の窓口であった木澤博司氏から、ドイツでNSXに乗ってみませんか、というお誘いがあったのは、HondaがNSXをヨーロッパに導入しようとしていた矢先であった。
喜んで招待に応じてドイツを訪ねた私が、ニュルブルクリンクから数キロしか離れていない小さな村、ミューレンバッハにHondaの研究所が存在することを初めて知ったのもその時のことだった。今や世界の名だたるスポーツ&GTカーの、開発最終段階におけるテスト場、つまりプルービング・グラウンドと化した有名なニュルブルクリンクだが、この22kmにおよぶ厳しいサーキットを、日本の自動車メーカーとしてテストに使用したのもHondaが最初だったと記憶している。Hondaは、私が乗る直前まで、ニュルブルクリンクでのテストを繰り返していたようだ。いつもながらHondaらしい、徹底した仕上げ方だった。

NSXは、S800以来となるHondaの純粋かつ本格的なスポーツカーで、その成り立ちも極めて革新的なものだった。
流麗な2シーター・クーペボディも、横置きにミッドマウントされた3リッターV6 DOHC VTECエンジンも、すべてアルミ製だった。加えて、これまたアルミ製のサスペンションには、フロント部分にブレーキング時のキャスターアングルバリエーションを大幅に軽減するようデザインされた画期的な機能が備わっていた。
公道上でも、NSXはその実力と真価を遺憾なく発揮し、文字通り欧州のトップスポーツカーメーカーの肝を冷やした。事実、私はポルシェの重役やエンジニアのNSXに対する称賛を実際に耳にしているし、マラネロ(フェラーリの本拠地)では、自分たちのつくるエキゾチックカーをはるかに凌駕した実力を有する“日本製フェラーリ”の出現に、慌てふためいたことも知っている。

実際に試乗してみて、私もたちまちNSXの虜になった。
さらに幸運なことに、その少し後で私はNSXをたっぷりテストする機会に恵まれる。当時コンサルタントであったヨコハマタイヤがテストカーとしてNSXをドイツに持ち込んだのだ。
私はニュルブルクリンクとその周辺の道で繰り返し、繰り返しテストし、NSXの優秀性をますます確認することになる。

その高回転型エンジンは夢のように素晴らしく、ハンドリングは極めて優れたバランスを備えていた。その上、この手のスポーツカーとしては、最上の乗り心地まで有していたのだから恐れ入る。何と楽に速く走らせることのできるクルマであろう。なんとドライバーの意図に精確に応えてくれるクルマであろう。過酷なニュルブルクリンクで何周も何十周もラップを重ねながら、私は感嘆していた。
深刻な環境問題を抱え、世界が真剣に悩んでいる今日、最低500馬力以上でなければスーパースポーツとは呼べないとでも言いかねないようなパワー競争に多くのメーカーが血まなこになっているのは、何と愚かなことか。これら現在のスーパーカーと呼ばれるクルマのうち、どれ1台として、NSX以上に、私に感銘とドライビング・プレジャー(クルマを操るよろこび)を与えくれたクルマが存在しないばかりか、今でも現在の交通事情のもと(たとえ速度制限のない道路でも)で、A地点からB地点まで移動する時間の短さおいて、NSXを凌駕するクルマは稀なはずだ。

その長かった生産期間中にも、NSXは常に改良され続けた。パワーステアリング、3.2リッターへの排気量アップ、6速ギアボックス、2世代におよぶタイプRの登場と、NSXは進化を続けた。
私は、なかでもタイプRに関しては、新旧の2世代ともに試乗する機会に恵まれたし、素晴らしい印象として残っている。 約120kg軽量されたタイプRは、レーシングバケットシートと、より硬く躾けられたサスペンションと相俟って、ほぼ完璧に近いパフォーマンスとハンドリングを発揮した。
初代NSXタイプRに関して言えば、Hondaの好意で2週間以上預かるチャンスがあって、その間、ニュルブルクリンクを含み、ヨーロッパ中を数千km駆け巡る至福の時間をNSXとともに過ごした。このことはもう15年も前のことになるが、そのときにこの世界に名だたるニュルブルクリンクでこなしたNSXでの高速ラップほど素晴らしいドライビング体験を、その後味わったことがない。

あと2つ、私は、NSXにまつわる、決して忘れないであろう素敵な思い出を持っている。

1つは、何年か前に、クロード・サージ スイスホンダ社長とともに招待された参加した鈴鹿での「NSX fiesta」のことだ。鈴鹿サーキットには、私のためにまっさらなレーシングスーツと、サーキット走行用の3.2リッターV6 DOHC VTECエンジン+6速MTのNSXタイプSが用意されていた。
そして100台近いNSXとそのオーナーたちが私たちを歓迎してくれたのだ。その眺めは壮観だった。Hondaから与えられたタイプSで数ラップしたあと、ピットに戻ってくるや、私の周りに数人のNSXオーナーが群がってきて、彼らを助手席に乗せて彼らのNSXを私に運転してくれるようせがまれた。そのうち何人かを乗せて何台かを運転したが、そのせいで、与えられたタイプSを楽しむ時間がなくなってしまったほどだ(笑)。それも今となっては良き思い出だ。そのうちの一人はいまだに毎年、私の誕生日に必ず、はるばる日本からカードと写真と私の大好物である“明治チョコレート”を贈ってくれる有難く奇特なNSXオーナーだ。

もう1つの思い出は、数年前、米ジャーナリストで親しい知人でもある、ジョン・ラム氏とともにツインリンクもてぎに招待され、東コースを使って2代目のタイプRを試乗したときのことだ。
サーキットで我々を出迎えてくれたのは、他ならぬ上原氏本人であった。いつものように人懐こい笑顔と気取らない態度で淡々とタイプRについて話す上原氏だが、彼の秘めた情熱はひしひしと伝わってきた。そのもてぎで過ごした午後の素晴らしいひと時も忘れえぬ良き思い出として残っている。
まさにヨーロッパにおけるポルシェ911同様、NSXは日本のスポーツカーの象徴に昇華したと言える。