アメリカのように、毎年、約16,000,000台ものクルマやトラックが売買される国にとってみれば、「8,997」と「61,224」は、取るに足らない数字かもしれない。実はこの数字、前者はNSX、後者はS2000の全米累計販売台数である。
にもかかわらず、この2台の偉大なマシンを開発した張本人、“ウエハラ シゲル”は、全米のHondaフリーク&エンスージアストに知られ、崇拝されている。

若いユーザーで構成されたS2000のオーナーたちは、ウエハラが彼らのお気に入りのスポーツカーに果たした役割を誰よりも理解しているし、S2000のオーナー群よりも小さいが、より意識の高い集団であるNSXのオーナーたちにとって、上原 繁は、NSXクラブ・オブ・アメリカ会長のラリー・バスタンザの言葉を借りるなら、“我々にとってのゾーラ・ダンドフ”であるようだ。ゾーラ・ダンドフは長年にわたってシボレー・コーヴェットのチーフ・エンジニアを勤める伝説的存在の人物だ。

私も何度かミスター・ウエハラに会う光栄に浴したが、もっと素顔の彼のこと、普段の仕事場における彼のことを知りたいと思い、数人のキーパーソンに会って話を聞いてみることにした。
まず、Acura(アキュラ)とS2000プログラムのシニア・プロダクト・プランナーのゲイリー・ロビンソンに会った。彼がウエハラの人物像について語る声のトーンは、明らかに彼の上原に対する尊敬と親愛の情がこもっていた。
「一緒に働くという観点から言えば、彼は本当に素晴らしい人物です」
ゲイリー・ロビンソンはこう話し始めた。
「むろん、初対面の前の予備知識として、彼がこの世界において伝説的存在であるということは承知していましたが、実際にどう接していいのか正直、最初はとまどいました」
ゲイリー・ロビンソンの話は、私が常日頃、上原氏に対して感じていた気持ちを再認識させてくれるものだった。

「第一印象は、とても謙虚で思いやりのある人、というものでした。もし彼がNSXやS2000といったクルマを作り上げた人物だと知らなければ、たぶん誰も彼が“お偉いさん”だなんて気づかないでしょうね。いつも笑顔を絶やさないし、しゃべり方も静かでおとなしいし…」

「彼と接していて学んだことのひとつは、彼が哲学といってもいいような強い信念に基づいて行動しているということです。彼にとってはクルマのバランス、つまり、クルマをできるだけ軽く仕上げ、絶妙なバランスとハンドリングを与えることに全力を注ぐということが最も重要なのではないでしょうか。おそらくパワーの大小は彼にとって大きな問題ではないのでしょう。その信念は技術系の学生として、バランスについて学んでいた大学時代に習得したものだと聞いたことがあります」

「しかし、ウエハラをNSXに駆り立てたものは、ただ単に、ハンドリングや、バランスや、アルミ製ボディやシャシーといった先進的なアイデアだけではないように思えます。私は世界にあるすべてのフェラーリ・オーナーズ・クラブはウエハラ神社に詣でているのではないかと思っています(笑)。それは、ご存知のように、NSXをして跳ね馬(フェラーリの愛称)のエンジニアを筆頭とし、世界中のスポーツカーメーカーの開発に携わる技術者すべてに、アンガス・マッケンジー(米モータートレンド(Motor Trend)誌編集長)の言葉を借りるなら、“まっとうな自動車を作るために、もう一度基礎からやり直す”ことを気づかせたからに他なりません。
ただ美しく、ミッドエンジンでパワーさえあればいいという時代は終ったのです。クルマは進化し続けなければなりませんし、何より信頼できるものでなければなりません」
ロビンソンの説明はこうだ。

「NSXを開発している時には、予想されるコストと実際にどのくらいのお金を使うかという点で、様々な異なる意見があり、激論が交わされました。アルミはコストカットのための最大の武器のひとつで、長い間、アルミは採用しないという方針でした。しかし、ウエハラには、もっとよくなる、もっとよくできるという確信があったのでしょう。当時の世界の名だたるスポーツカーメーカーが、まるで改良のための努力を怠っているかのような停滞した状況下で、飛躍的な技術革新を行う素地はあったのです」
「NSXは、さすがにそのライフサイクルの終盤にこそ、ライバル車に比べて多少時代遅れの感があったのは否めないかもしれませんが、NSXがこの世に生まれてきたからこそ、他のスポーツカー・メーカーは、自社のクルマを現在の高みにまで改良進化させることができたのはまぎれもない事実です」と、ロビンソンは締めくくった。

私自身にもNSXは忘れられない強烈な思い出を残している。私が籍を置く、米ロード・アンド・トラック(Road & Track)誌は、NSXがデビューして間もない頃、フェラーリ348との比較テストを行い、私はカメラマンとして参加した。カリフォルニアの田舎で行われたテスト当日の気温は35℃以上にも跳ね上がり、焼けるような熱波の中でテストは実施された。

仲間に合流した時にはすべてに348のエアコンはまったく機能を果たさなくなっていて、ソフトトップは全開、ノーズに備わったラゲッジスペースの中はまるでオーブン状態だった。
対照的に、NSXの室内は涼しく快適で、カメラやフィルムを置いておくには最適であった。そのうえ、NSXはテストトラック上での性能テストでもライバル車に差をつけた。後年、348の後継モデルに試乗した際、まっさきに頭に浮かんだのはNSXのことで、まさにNSXなくしてライバルたるフェラーリの進化はありえなかったと感じたものだった。