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●耐久レースとスポーツカー【前篇】 by ポール・フレール(Paul Frere)
耐久レースとスポーツカー【前篇】 by ポール・フレール(Paul Frere)
20世紀前半、メジャーな自動車レースはすべて長距離レースであった。レースの形態としては、ヨーロッパの都市間をつなぐ公道か、1周の距離が長いサーキット(多くの場合2日間にわたって行われた)を使ったものだったが、そのすべてが長い距離でスピードを競うレースであった。
一方、近代における“エンデュアランス・レーシング(耐久レース)”という概念は、1923年、ル・マンで生まれた。この年、フランスの自動車クラブACO(Automobile Club de I’Ouest=西部自動車クラブ)は、記念すべき第1回24時間レースを開催し、3リッター4気筒エンジンを積んだシュナール・ワルケールというフランス製のクルマが栄えある第1回目の勝者となった。レースへの参加が許可されていたのは生産モデルだけだったが、技術的進歩への貢献という名の下に、ある程度のチューニングは認められていた。

その後、ル・マン24時間レースに倣って、各地で同様の24時間耐久レースがスタートした。1925年にはスパ・フランコルシャン(ベルギー)で、その後もペスカーラ(イタリア)、サン・セバスチャン(スペイン)と、次々に24時間レースが生まれたが、どのレースもル・マンのような栄光と名声を獲得するには至らなかったし、スパ・フランコルシャン24時間レース以外は生き残ることさえかなわなかった。
1949年、大戦後初の24時間レースがル・マンで開催された時、やむを得ずレギュレーションを大きく変更しなければならなかった。戦後の経済復興は緒についたばかりで各メーカーの新型車も開発途上にあったため、従来の生産車枠に加えて、将来生産される予定のモデルのプロトタイプも参加が認められたのであった。有名なところでは、アストン・マーティンDB1やDB2、メルセデス・ベンツ300SLといったモデルがこの恩恵に浴した。
しかしこのことをきっかけとして、その後、“将来的に生産される予定”という条項は削られ、生産車や生産予定のプロトタイプに関わらず、「プロトタイプ」という名の100%純血のレーシング・マシンでレースは行われるようになっていったのだった。その結果、1952年以降、1979年と1995年の2回を除いて、生産予定のプロトタイプや生産車がル・マン24時間レースを制した例はない。
ACOが長い間堅持し続けるレースの方針は、レギュレーションはテクノロジーという観点から理にかなったものであること、レースにかかる費用は納得のいくレベルを維持すること、そして多くの参加車が競り合う面白いレースを提供すること、の3点である。
したがって現在のレギュレーションは、このポリシーに則って大資本の自動車メーカーに比して、レースに費やせる資金も時間も少ないチームに配慮するかたちで制定されている。
プロトタイプはLMP1とLMP2という2つのクラスに分かれており、エンジンパワーはそれぞれ600〜650PSと450〜500PSに、マシンのミニマム・ウエイト(最低重量)も、それぞれ900kgと750kgに制限されている。
一方、GTクラスは、ベースとなる市販車両に対する改造度合いによって、LMGT1とLMGT2という2つのクラスに分けられた。最低重量はいずれも1000kgだが、エンジンパワーはそれぞれ570〜620PSと400〜450PSに制限されている。LMGT1クラスはマシンへの改造の自由度が高いため、LMGT2マシンのほうがより市販車両に近いといえる。

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