ル・マン24時間レースは、毎年最低25万人以上の観客を動員し、全世界のTVやラジオによるライブ中継に加え、各種メディアが大きく取り上げるほどの人気を誇っている。
ル・マンは、従来2人のドライバーによる交代制であったが、マシンの速度が上がるのと並行してドライバーのストレスが極度に高まったこともあって、近年(1985年以来)は3人のドライバーによる交代制となった。私自身もレーシング・ドライバーとして1955年から6年間、ル・マン24時間耐久レースに出場し、その過酷さは身をもって体験している。耐久レーサーには強靭な体力と精神力と同時に、最良の結果をもたらすために、マシンをいたわりつつ冷静にドライブすることが求められる。
しかし、不思議なことに、F1と異なり、耐久レースではチャンピオン・ドライバーよりも、レースに勝ったマシンのメーカーのほうがより大きく取り上げられ、人々の記憶に残るようだ。事実、相当専門的な人以外、誰もル・マン24時間レースのチャンピオン・ドライバーを覚えている人などいないのではないだろうかとさえ感じる。
極論すれば、耐久レースは、もとい、耐久レースこそはメーカーのために存在し、メーカーにとってその利用価値は大きいレースといえるのだ。レースのスター = マシン、つまりクルマなのである。
人々はル・マンに勝ったのはどこのメーカーで、何度勝ったかということはおぼえていても、誰がドライブしたかにはほとんど関心を持たない。ル・マンでの勝利はメーカーの強さ、優秀さを強烈にアピールする。事実、過去そのことによって新しい市場を切り開いたメーカーも多い。
大衆が総合優勝チームにのみ注目し続けるその一方で、近年、ル・マン24時間耐久レースのGTクラスに、より大きな価値を見出し、直接的にあるいはプライベートをサポートして間接的に、GTクラスに出場するメーカーが増えている。2006年も少なくとも6メーカーが参加し、自社製品の優秀性を競った。今日、より市販車に近いかたちのマシンが出場するGTクラスは、かっこうの実験場と化し、エキスパートたちの熱い視線を浴びているのが実情だ。
また、ル・マン史上、初出場で初優勝を飾ったのは3チームしかない。
1994年、レース界の雄Hondaが、ル・マン24時間耐久レースにNSXで敢然と初挑戦し、大きな話題となった。F1を筆頭に世界の様々なレースで数々の輝かしい記録を打ち立ててきたHondaにとって、1994年は、「本格参戦に向けての実戦でのデータ収集」という実験的な参加であった。
Hondaが参戦したのはLMGT2という、エンジンの出力が450PS程度、最低車重が1050kgというクラスで、クラス中最も多い21台がエントリーした。マシンには生産型NSXのV6 DOHC 24バルブ3リッターエンジンをHonda自身が380PSにまでチューンナップしたものが搭載されていた。初日こそLMGT2クラスでトップのタイムを叩き出し、存在感を示したものの、技術開発はHonda、車両製作は英TCP社、そしてチーム運営は独クレマー・レーシングという多国籍チーム内でのコミュニケーション不足や、出場を決めてから本番までの期間の短さによる準備不足というハンデもあって、繰り返しトラブルに見舞われ続けた。しかしさすがはHonda。初めてのル・マンでエントリーした3台すべてが完走したのは、立派な結果だと評価できる。全体で14位、クラスで6位が最高順位であった。
|