第2回 BEAT編 風を切り裂き、クルマの鼓動を響かせ、リズムを刻むように走りまくれ!

だれもが豊かさを求め、活気に満ちていたニッポン。

ただいまより新郎新婦の入場です、というアナウンスが流れると、それまでざわついていた100人を超える来場者が一斉に正面を向いた。場内が暗くなり、ステージの袖に張られた巨大なスクリーンにシルエットが浮かび上がる。そして響きわたるエンジン音。次の瞬間、そのスクリーンを突き破り、鮮やかなイエローのBEATがステージ中央まで進んだ。キャビン後部に腰かけていたのは、タキシードとウエディングドレスの二人。大歓声が沸き起こった。

これは、いまから19年も前のこと。友人の結婚パーティで実際に行われた一幕だ。来場者を驚かせようと仲間と考え、当時、発売されて間もないBEATを、ツテを頼りに借りることになったのだ。演出は見事に成功した。それどころか、新郎新婦を差し置いて、BEATの注目度が非常に高かった。パーティが盛り上がるにつれ、キケンを感じてステージから引っ込めたほどだった。

都内の大きなイベントホール。ケータリングスタイルの立食パーティ。しかもそこへクルマを持ち込む。そんな派手な企画を、当時はごく普通の若者が実現できた。目立つことへの抵抗感はなかった。1991年、BEATが誕生した年。時代が華やかな方向へと向いていた。1980年代後半から90年代初頭まで続いた世にいうバブル景気は、人々に豊かな暮らしや多彩なライフスタイルをもたらしていた。若者にとってクルマは自己表現のひとつであり、新型車の登場やモデルチェンジに敏感だった。そのなかでもBEATは、話題の的となった。世界のどこにも走っていない、強烈な個性を放っていたのである。

軽の発想を根底から覆す、ミッドシップ・フルオープン2シーター。

BEATが誕生したのは1991年5月である。当時はミニバンというカテゴリーのクルマはまだ存在せず、セダンがファミリーユースを担っていた時代。スペシャリティカーと呼ばれた2ドアやクーペスタイルが若者を中心に人気を博するなど、多くの人が個人の価値観や欲求に応えてくれるクルマを求めていた。

その頃のHondaは、F1では前シーズンまで5年連続シリーズチャンピオンという偉業を成し遂げ、市販車では、やはり前の年にオールアルミボディのスーパースポーツ、NSXを登場させていた。こうした背景のなかで、Hondaが放った次の一手が、なんとイエローナンバーのフルオープン2シーターだった。しかも、その小さなボディに積まれたメカニズムは、F1マシンやNSXに通じるミッドシップエンジン・リアドライブ方式。それまでの軽自動車の考え方をあざ笑うかのような自由な発想とスポーツテクノロジーは、まさに驚きと賞賛であった。

日本独特の軽自動車という規格は、道路事情や住宅環境に適しているといえる一方で、ボディサイズや総排気量など、開発するうえでは多くの制約に縛られる。ゆえにBEATが登場するまでの軽は、足としてのご近所グルマ的な使われ方がほとんどで、スポーツを名乗るタイプでもベース車を味付けしたものでしかなかった。所詮、軽でできることは限られているといわんばかりに。
だがHondaは、軽なら何ができるのか、軽にしかできない走りの楽しさとは何かをゼロから考え、徹底的に追求したのだ。結果、小さいからこそ楽しめる、という答えを導き出した。普通乗用車の大きさでは体感できない、NSXでさえ味わうことのできない、楽しさを超えた"おもしろさ"を手に入れたのである。
この小さなクルマは、当時のクルマづくりの象徴という意味では、NSXと肩を並べる存在として「Hondaらしさ」を物語っていた。


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