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●世界の名物Hondaマンを訪ねて スイスの熱きHondaマン 前半 by Paul Frere 1/2
世界の名物Hondaマンを訪ねて スイスの熱きHondaマン 前半 by Paul Frere
第1回目の名物Hondaマンは、Hondaスイス社長クロード・サージ氏である。
スイスでHondaディーラーを立ち上げ、Honda車の普及に尽力された人物。
自らル・マンに参戦するほどのドライビングの腕前で、スポーツカーをこよなく愛す。
特にNSXを愛し、自らサーキットで走りを楽しみながら、
欧州でNSXオーナーズ・クラブの設立を推進した。
彼とHondaとの関わりは、自動車販売に携わりはじめた当時、発展の可能性を秘めた
数ある自動車会社のなかから、チャレンジ精神に満ちたHondaに注目したことに始まった。
今回は、サージ氏とHondaとの出会いに関わるエピソードを中心に話題を展開していきたい。
元モータージャーナリストであった彼の先輩であり、
ル・マンを闘ったドライバー同士でもあるポール・フレール氏に特別に
インタビューを行ってもらった。
豪華な組み合わせで「世界の名物Hondaマンを訪ねて」のスタートである。
ポール・フレール氏(以下、PF):我々に共通するのはクルマに対する限りない情熱です。最初に我々が出会ったのは60年代の初め、あなたはまだモータージャーナリストで、ヨーロッパでも最も尊敬された自動車誌のひとつ、スイスの「Revue Automobile」にスタッフとして勤めていたころでした。
その後1964年のル・マン24時間耐久レースや、他のイベントにポルシェ904で出場して走っていたのを見て知っているけれども、あなたはもともと自動車好きの家系の出身なのですか?そうでなければ自動車業界に入った動機はなんだったのか教えてください。


クロード・サージ氏(以下、CS):いいえ。まったくといっていいほど、うちの家族は自動車に興味がなかったですね(笑)。
父親は織物を生業とするビジネスマンでしたが、私は幼い頃から自動車に興味を持っていて、特に自動車の開発とデザインに関心を持っていました。最初はエンジニアを目指して勉強していたのですが、ある時スイスの山中で落雷を受けて大怪我をしてしまい、やむなく進路を変えざるを得なくなり、ビジネス・スクールに通うことになったのです。最終的にはローザンヌ大学で学業をおさめ、経営学と政治学で学位を取得しました。

PF:私が知る限りでは、あなたが自動車ジャーナリズムを離れた理由はスクーデリア・フィリッピネッティというレーシング・チームに参加するためだったと記憶しているのですが、チーム内でのあなたの役割は何だったのか、そしてオーナーのフィリッピネッティ氏とはどういう人だったのか教えてください。

CS:自動車に対する強い情熱と高い関心のおかげで、私は「Revue Automobile」誌のスタッフになることができ、あなたにも出会うことができました。1964年にはレースにも出場しましたし、光栄にもあなたの名前のついたトロフィー(The Paul Frere Trophy)を獲得して、ブリュッセルにあるThe House of Erasmusで表彰された夜のことは忘れられません。
そのあとで「Revue Automobile」誌を辞め、ジョルジョ・フィリッピネッティ氏とともに、フォード車を販売する会社、パフォーマンス・カーズ・リミテッドという会社をジュネーブで始めました。当時のフォード・ブランドの高性能車であるコルティナ・ロータス、シェルビー・コブラ、シェルビーGT350とGT500、フォードGT40といったクルマを扱っていました。

同時に私は、レーシング・チーム、スクーデリア・フィリッピネッティを任され、マネージング・ディレクターを務めることになったのです。
元レーサーでもあるジョルジョ・フィリッピネッティ氏は、当時すでに成功をおさめていた事業家で、ジョー・シフェール氏をサポートするレーシング・チームをつくったのです。ご存知のようにシフェール氏はその後スポーツカーやプロトタイプのレースで大活躍しました。
1966年のタルガ・フローリオより。左からクロード・サージ氏(スクーデリア・フィリッピネッティ監督)、F.リニ氏(スクーデリア・フェラーリ監督)、H.V.ハンスタイン氏(チーム・ポルシェ監督)、タルガ・フローリオの役員2名、ジョルジョ・フィリッピネッティ氏。肩書きはすべて当時。
1963年のフランスGP(ライム)。左からクロード・サージ氏、ジョルジョ・フィリッピネッティ氏とロータスBRMに乗るフィル・ヒル氏。
1961年のトロフェオ・アルベルト・アスカリ(モンツァ)にて。NSUスポーツでクラス優勝を果たす。マシンの前に立つ4人の左端がクロード・サージ氏。
1970年のタルガ・フローリオより。中央の2人のうち、立っているほうがジョルジョ・フィリッピネッティ氏、マシンに腰掛けているのがクロード・サージ氏。
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フッタ
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