ミニフォーラム 「S」のメカニズム OBエンジニアに聞く

ミニフォーラム 「S」のメカニズム OBエンジニアに聞く

「S」の開発は、『全長3m、全幅1.3mの小さなボディで、エンジンが
360ccの軽自動車でありながら、いかに世界に誇れるスポーツカーを
生み出すか』という、とてつもない挑戦からスタートしました。
その原初の話にはじまり、「S」のさまざまな開発のエピソードを
振り返ったミニフォーラム。語ったのは、当時エンジン・
パッケージング担当だった元社長の川本 信彦さん、
サスペンション担当の吉岡 伴明さん、デザイン担当の森岡 實さん、
走行実験・レース活動担当の木村 昌夫さんの4名でした。
お話の中から、「S」の設計に関する印象的なお話をご紹介します。

9,000rpmも回るため3カ所で回転を落とす構造になっている

通常は、トランスミッションからプロペラシャフトでデフへと回転を伝え、デフで最終減速を行いタイヤへと動力を伝える構造です。しかし「S」は、トランスミッションの中とデフとチェーンドライブの3カ所で回転を落とす珍しい構造を採っています。

まずトランスミッションのなかで減速

普通のトランスミッションというのは、エンジンから入力された回転をギアの組み合わせで変速し、そのままプロペラシャフトへと出力します。しかし「S」は、エンジンが高回転なものですから、そのまま出力するとプロペラシャフトが高速で回り過ぎることになる。ですから、なるべく回転を落としたいわけです。そこで、トランスミッションの中にカウンターシャフトを設けて、トランスミッションのなかで一度減速しているんです。カウンターシャフトの分トランスミッションのスペースが広がりますが、ドライブシャフトとシフトレバーが離れることで、ちょうどいい位置にシフトレバーを置くことにも寄与しました。

おかげでデフを小さくできパッケージングに貢献できた

トランスミッションで一度減速しており、さらにチェーンでも減速できるものですから、デフでの減速は普通のクルマほどしなくていいことになります。そうすると、ギアの大きさを小さくできるわけです。つまりデフ自体を小さくでき、しかもチェーンケースがスイングするのでデフを固定できますから、さらにデフまわりをコンパクトにできる。室内空間を広く取ることに大きく貢献できました。

最後にチェーンドライブで減速。3分割の減速でパッケージングを成立させた

そして最後はチェーンの部分でも減速します。エンジンから出力された回転の減速を3分割するというアイデアによってパワートレインを大幅にコンパクトにできたわけです。それによって、当時の軽自動車枠でこれほどの高性能パワートレインを積んで居住空間とトランクスペースを確保するという離れ業をやってのけることができたのです。今見返してもほんとうに緻密なデザインを行っていたんだと感じますね。バイク屋だったHondaとしては、意を決して臨んだ技術的に高度な仕事だったのです。

ドアの後ろのデッドスペースを生かす

「ドアの後ろのスペースが空いてるじゃないか」と本田 宗一郎が言い、オーバーハングがほとんどなかったSPORTS 360に、トランクとスペアタイヤを収めるスペースを確保するためのチェーンドライブが成立したわけです。これで、わずか全長3mのなかに、DOHCエンジンとトランスミッションとデフやドライブシャフトとともにスペアタイヤ、トランクスペースを収めることができたのです。

低いボンネットはニードルローラーベアリングの恩恵

通常、高性能エンジンは潤滑が重要になるので、シリンダーヘッドだけでなく、エンジンの下の部分にあるオイルパンも大きくなります。クランクシャフトの軸受けがメタルベアリングだと焼き付かないように大量のオイルを収める大きなオイルパンが必要です。SPORTS 360は、高性能のニードルローラーベアリングを使用したため、オイルパンを小さくできました。したがって、エンジンの下の部分が小さくなり、エンジンを低く積むことができた。これによってSPORTS 360の低いボンネットが実現できたのです。

エンジン流用でコストダウンなど眼中になかった

SPORTS 360のエンジンは、ボンネットを低くするため最初から45°傾けた設計でした。普通なら、さまざまなクルマに積みやすい真っ直ぐなエンジンを作ってコストを下げたいわけです。しかし、おやじさん(本田 宗一郎)は「最もいいものをつくるんだ。次のことは知らん」と言って、SPORTS 360にとって一番いいものを作るんだと言い、45°傾いたエンジンを作ったのです。そんなエンジンを積んだ量産車は見当たらないと思います。それくらい、脇目も振らずベストをめざしたクルマだと言えますね。

しっかりした足づくりに貢献したベアリング

スペアタイヤを載せるために「真ん中を開けろ」ということで、チェーンドライブの基本的なレイアウトを本田 宗一郎が決めました。それをもとに、いかにうまくスポーツカーの後輪としてしっかりした足を作るかが課題でした。最初は中央のデフの近くにゴムマウントを置いたら、足がぐにゃぐにゃでした。そこで、マウントをデフの外側に広げて、かつ横剛性を上げるにはどうしたらいいかということを考え、試行錯誤しているうちにゴム樹脂のベアリングを見つけ、マウントとチェーンドライブのベアリングを兼用させて剛性の高い足を実現したのです。

デザイン室の係長は俺だ

開発を行っている1961年当時、デザイン室は12名でした。わずかそれだけの人数で、二輪、四輪、汎用だけでなく、多摩テックの乗りものもやっていて大忙しでした。そんな中、「Hondaのデザイン室の係長は俺だ」とおやじさんが言い、スタッフに一から十までみっちり仕事を教えてくれました。教えの中には仕事以外のこともあり、人間性の豊かなおやじさんの一面を学びました。

鈴鹿から呼び寄せられたスタッフ

1962年のモーターショーに展示するクルマをつくるために日程に追われました。時間短縮のために、1/1のクレイモデルに直接石膏を貼り、その石膏の雌型を取り、そこに直接FRP(※ Fiber Reinforced Plastic 繊維強化プラスチック)を貼り込んでボディを作っていったんです。時間がないので、その作業を研究所のデザイン室のなかで行わなければいけないのですが、ボディを作るような技術者がいない。そこで、本田 宗一郎が「あいつらを呼べ」と言って招集したのが、FRPのボディを持つスクーター、ジュノオを作った技術者です。鈴鹿製作所から呼び寄せ、かなりの苦労をし、係長も手伝いながら何とか作り上げたんです。

リジッドアクスルはアメリカホンダの提案

アメリカホンダがSシリーズを扱うにあたり、高性能なエンジンを積んでいるスポーツカーでもチェーンドライブでは売りにくいと、扱いを先伸ばしにしていました。
その一方で、四輪を扱うにあたってアメリカホンダは整備士を養成する学校をつくり、教育して各ディーラーに送り込むということをやっていたんです。
その学校の講師であるハワード・ジョーンズさんという方が、販売しないで倉庫にあったS800を見て「自分にも何かやらせてほしい」と言ったらしいのです。それで、アメリカホンダは、日本のHondaにテレックス(※ Teletype Exchange Service 専用端末を用いる初期の商用デジタル通信方式)を送って軽トラックT360のリジッドアクスルを取り寄せ、ハワード・ジョーンズさんに渡したんです。彼は自分のガレージで見よう見まねでS800にリジッドアクスルを組み込み、試作車を作り上げました。
S500になった時点でSPORTS 360に対してリアを30cm伸ばしたため、そもそもリジッド化の可能性は秘めていたのですが、リジッドアクスルで行けるということを現物で示したものですから、おやじさんも「いいんじゃないか」と。それでリジッド化が決まったわけです。一度売り出したモデルにおやじさんはあまり興味がなく、次のモデルに関心が行っていたのもすんなり通った背景だと思います。これは本邦初公開のエピソードかもしれません。

ボンネットのパワーバルジの由来

S800を作るとき、インジェクションを何とか付けろとおやじさんから話があり、その方向で開発を進めました。そうすると、カムシャフトの上にスペースが必要ですから、ボンネットを膨らませたわけです。ガソリンは軽油と違ってそのものに潤滑性がないからインジェクションの開発は非常に難しく、機構も複雑でなかなか実現しない。でもプロジェクトは進行するものですから、ボンネットは先行して膨らんでしまったのです。おやじさんがインジェクションにこだわって発表を遅らせるかと思ったのですが、知らん顔してるんです。それで、結局はキャブレターのままで行き、ボンネットだけ膨らむということになったのです。その後もインジェクションの研究は続けられて、ホンダ 145クーペに採用されました。

全力を出し切って登った垂直の壁

開発している当時は、必死でやっていて気が付かなかったのですが、今回ミニフォーラムを実施するにあたって再度パッケージレイアウトを見てみたのですが、非常によく考えられているなと改めて感じました。本当に自分たちの持てる技術を最大限に出し切って作ったんですね。
自動車屋さんとバイク屋さんでは、資本も工場の規模も機械の数や価格も10倍ぐらい違うんです。つまり、バイク屋だったHondaは、いきなり垂直登坂のようなことに挑んだわけです。当時はわかりませんでしたが、そういう意味でもものすごい決意と気概で経営陣は四輪事業に立ち向かっていたんですね。

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