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そして30数年の月日が流れた。
財政的にも時間的にもある程度余裕のできたルークは、ついに念願であった本田宗一郎氏が設計に関与した時代のHonda車と、そのパーツの本格的な収集を始めたのである。義父にあたる私も大好きなメーカーであるHondaの旧いクルマを探す楽しさ半分、彼の情熱に引きずられること半分で、彼の手伝いをすることになった。
去年の秋、東京モーターショーを取材するために訪日した際のこと、ショーのあとで2日ほど時間があった。私は招待されて軽井沢にあるCar Graphic(以下CG)の小林彰太郎氏(彼は私をポールと呼び、私はショウタロウと呼んでいる)の別荘を訪ねた。ジャーナリスト仲間でもあり、良き友人でもあり、同好の士(クルマの虫)でもあるショウタロウとは、実に40年にわたる付き合いである。
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アルミ鋳物の“アルミジャケット”で覆われた1300の特殊空冷並列4気筒パワーユニット。写真は4キャブレターのTSエンジン(CG1968年12月号より)。 |
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2日間を一緒に過ごす間に私は、娘婿であるルークが旧いHonda車を集めていること、どうしても入手できないのがHonda
1300であることを話題にした。そのことを覚えていたショウタロウが、新年号のCG(2003年12月1日発売の2004年1月号)の自分のコラムに、ルークがHonda
1300を探していることを書いたのを知ったのは、今年に入ってからのことであった。
CG関係者から聞いた話では、驚くことにそのCGが発売された日に1人、数日たって1人、クルマを譲りたいというオーナーが現れたという。
1台は埼玉の佐藤さんの所有する1300・99Sセダンで、もう1台は神奈川の東田さんの所有する1300・9Sクーペである。
ショウタロウと私とルークとの間で数度連絡が取り交わされ、ルークにとっては4キャブ・モデルのセダンが理想であったこともあって、結果的に佐藤さんの1300・99Sセダンを譲っていただこうということになった。
佐藤さんのところには、ショウタロウ自らが訪ねてクルマを確認してくれた。そしていざ譲渡交渉を始めるや、奇特にも佐藤氏は、「長年来崇拝しているポール・フレール氏の義理の息子さんでもあるし、それほど1300を愛している方なら、ずっと乗り続けるという条件付きで、無料で進呈したい」とおっしゃっているとショウタロウから連絡があったときには、私もルークもビックリ仰天した。
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| Honda 1300・99Sセダン |
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こんな信じられないことが実際に起こるのは、世界広しと言えども、私の愛する日本という国だけであろう。
また、本当に素晴らしきオーナーたちに恵まれたHondaは、つくづく幸せなメーカーであると思う。最初は戸惑いもし、悩みもしたが、ルークは結局、佐藤さんの純粋な好意をありがたく受けることに決めた。私とルークはショウタロウとCGに心から感謝している。それでも無償でもらうのは抵抗があるだろうとショウタロウが気遣ってくれて、ほんのささやかなお礼として、佐藤さんが日本で見つけるのが困難だという初代VWゴルフのインジェクション・ポンプをヨーロッパで見つけて贈ることにした。
とにもかくにも、ルークにとって夢でしかなかったことが現実になりつつあるのだ。佐藤さんが譲ってくださる1300・99Sセダンは、横浜で船に載せられた後、数週間を経て自宅にまで届けられるという報せがCGスタッフから届いたとき、彼は嬉しさのあまり極度に興奮し、何度もモナコの私のところに電話をしてきた。
(後篇に続く) |
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