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●海を渡ったHonda 1300 (前篇) by ポール・フレール 1/2
このコラムを読んでくださっている皆さんの中には、昨年、「あるベルギー人のHondaエンスージャスト物語」というストーリーで、Hondaフリークである私の娘婿について書いたのを覚えていらっしゃる方も多いと思う。今回はその後日談をお届けしたい。
 

熱狂的なHondaファンのルーク・デ・プランスが最初に買ったクルマはもちろんHonda製で、真っ赤なN360だった。
私の娘、マルティーヌの結婚した相手、ブリュッセルに住むベルギー人、ルーク・デ・プランスは、熱烈なHondaファンで、特に本田宗一郎氏の熱心な崇拝者である。本田宗一郎氏が開発に関わった初期のHonda車に恋焦がれている人間である。
ルークがまだ18〜19歳の1968年当時、すでにバイクを通じて大のHondaファンであった彼が最初に手に入れたクルマはもちろんHonda製で、真っ赤なN360だった。最初の恋人、N360とはどこへ行くにも一緒で、ヨーロッパ中を旅した。その結果、手離した時点でのN360の走行距離は10万キロを優にオーバーしていた。当時、すでに熱心な自動車ファンであった彼は、数冊の自動車専門誌を定期購読していたが、そんな彼がある日、とある自動車専門誌で目にし、釘付けになったのが1968年の第15回東京モーターショーに出品されたHonda 1300である。これが、彼の永い憧れの始まりである。
 

Honda 1300がセンセーショナルにデビューしたのは1968年の第15回東京モーターショーだった(CG1968年12月号より)。
このユニークな空冷オーバーヘッド・カムシャフト・エンジンを見て即座に魅了されたルークは、このエンジンこそN360やN600(N360の360ccエンジンを600ccにチューンナップしたエンジンを搭載したヨーロッパ限定仕様モデル)用エンジンの正統なる進化であると信じた。そして、いつの日かHonda 1300を手に入れようという大志を抱いたのであった。
しかしまだ若い学生だったルークにとって、それはまさに高嶺の花、遠き夢でしかなかった。財政的に購入が無理だったこともあるが、実験的に1〜2台がメーカーによってヨーロッパに運んでこられた以外、結局Honda 1300はヨーロッパに輸入されることはなかったのだった。
このエンジンが当時のヨーロッパの排ガス規制をクリアできていなかったことと(少なくともディーラーはそういうふうに説明していた)、空冷エンジンというなじみのないエンジンを敬遠するかたちでディーラーが販売を断念したというのが、ヨーロッパに輸入されなかった理由であった。こうして彼の夢は、はかなく風とともに去っていった。しかし心の奥底には、いつの日か1台、日本で見つけて持ってこようと、かすかな希望の灯は燃え続けていた。たとえそれがほぼ不可能に近いものであったとしても……
 
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フッタ
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