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●SPORTS CARS, MY LIFE AND MY DREAMS(後篇) by ポール・フレール 1/3
現在、優れたスポーツカーをドライブするのに最も適している国はイタリアだろう。よく整備されたアウトストラーダ(高速道路)、素晴らしい自然に恵まれた美しい山路や田舎道、そして偉大な歴史的建造物という理想的なコンビネーションは他では得られない。
イタリアはドライビングのみならず多くの面で長い間、私のもっとも好きな国であり続けている。レースに出場していた時代は、レースのたびに必ずクルマでサーキットにでかけていたものだ。
 
フェラーリ、そしてマセラティ
1950年代から60年代は母国ベルギーに住んでいたが、ミラノやトリノまでの約1200kmの道のりは、ビジネス、レジャー、そして何よりもドライブする喜びと楽しみを兼ね備えた私の大好きなコースであった。グランプリ・レーシングドライバーというありがたい肩書きのおかげで、フェラーリやマセラティ、新規参入のランボルギーニといったメーカーは喜んでテストカーを貸してくれた。そのフェラーリは、またたく間にレース界を席巻して、名をあげた。
豪華なピニンファリーナ・ボディを身に纏ったV12フェラーリは速いことは速かったが、当初ハンドリングは完成されたものとは言いがたかった。それに比べれば、ライバルのマセラティ6気筒3500GTのほうが、クルマとして数段良く出来ていたと思う。もちろん12気筒フェラーリほど速くも、プレステージなクルマでもないものの、ドライブして楽しく、敏捷で、快適だった。真に運転して素晴らしいと思った最初の生産型フェラーリは250GTベルリネッタSWB(1960-62年)で、たぶん最も美しいクローズド・ボディのフェラーリだとも言える。
マセラティ3500GT(1957-64年)。その走りは敏捷で、ドライブを快適に、楽しく演出してくれた。 フェラーリのなかでも真に運転して楽しいと感じたモデル、250GTベルリネッタSWB(ショートホイールベース)(1960-62年)。
孤高の存在、ランボルギーニ・ミウラ
信念の男、フェルッチオ・ランボルギーニは、「自分ならフェラーリより優れたスポーツカーをつくってみせる」といって、ジオット・ビッザリーニとジャン・パオロ・ダラーラという鬼才エンジニアを招聘してクルマを設計開発させた。その結果生まれたのが350GTであり、すぐに400GTへと進化した。
4リッターV12気筒を搭載した400GTはとても良く出来たクルマで気に入った。それもそのはずで、ビッザリーニは以前いたフェラーリを辞める直前にGTO用エンジン開発の中心にいた人物であり、ダラーラは今日、世界最大のレーシングカー・マニュファクチャラーである。
しかし当時、レースでの活躍という売り文句なしには高性能スポーツカーは売れず、やがて失意のビッザリーニはランボルギーニを去ってしまう。窮地のランボルギーニを救ったのはミウラで、天才マルチェロ・ガンディーニのデザインした、間違いなくこの世で最も美しいクルマの1台といえる。ダラーラはV12エンジンをミウラのコクピットの真後ろに横置きに積んだ。ミウラが1966年のジュネーヴ・ショーで公開されたときの衝撃はものすごく、フェラーリやマセラティは一夜にして古臭いクルマに成り下がってしまったほどである。
 
ミウラの出現は、フェラーリとマセラティをして、フェラーリ512BBとマセラティ・ボーラ(どちらもミッドシップ)をつくらしめるが、ミウラの圧倒的なカリスマ性の前では影が薄かったし、ミウラほど速くもなかった。しかし一方で、ミウラはホイールベースの短さと空力リフトのせいで非常に運転しにくく、なかなか神経を使うクルマでもあった。ちなみにミウラの最高速テストは私自身が手掛けたもので、時速275kmという記録は、私がテストした生産型自動車の中で長い間最速であり続けた。
ビッザリーニとダラーラという2人の鬼才によって生みだされたランボルギーニ400GT(1966)。 他のスポーツカーを圧倒し、衝撃的なデビューを飾ったランボルギーニ・ミウラP400(1966-68)をテストしているシーン。
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