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●SPORTS CARS, MY LIFE AND MY DREAMS(中篇) by ポール・フレール 1/2
多くの場合、夢が現実になることは滅多にない。しかし私の場合、世界最高峰レベルのレースへの道のりは、まさに「Dream comes true」のストーリーであった。
自動車レースに出場すること。たとえそのレースが小規模なイベントだったとしても、それは長い間、私の野心であった。むろん、有名ドライバーに伍して勝敗を争うなどということは、夢のまた夢だと思っていた。
1950年までの私のレーシング・キャリアは極めて限られていて、1948年のスパ・フランコルシャン24時間レースに、13年もの間使い古された939cc MGで出場し完走したことと、50年にパナール・ディナを駆りスパ・フランコルシャン・サーキットのツーリングカーレースの小型車クラスで優勝したくらいであった。
 
試走したマシンで最速ラップをマーク
ジャガーXK120フィクストヘッド・クーペ(1951-54年)。当時、エンスージャストの憧れの的だった一台。
その頃、私はベルギーのジャガー輸入代理店のサービス・マネージャーを務めていた。当時、ジャガーXK120はエンスージャストの憧れの的で、スパ・フランコルシャン・サーキットのツーリングカーレースのスポーツカー・クラスに、顧客が数名、自分のXK120でエントリーしていた。
一方、当時唯一のベルギー人ドライバーで、タルボ・ラーゴでF1にも参戦していたジョニー・クラースにはジャガーのワークスカーが与えられ、レースに出場していた。公式予選が始まる前、顧客のひとりが私のところにやってきて、自分のXK120はジョニーよりも20秒も遅く、どうも性能がしっかりと出ていないらしいと言ってきた。そして「君、ちょっと試しに乗ってみてくれ」と言うので、もちろん私は大喜びでOKし、ただし3ラップさせて欲しいと頼んだ。3ラップを要求したのは、1ラップ目にパナールではチェックできない高速ベンドを試し、残り2周でベストラップをたたき出すのが唯一の方法だということを知っていたからだ。果たして、3ラップを終えてピットに戻ると、私がこの日の最速ラップを出したことを、ラウドスピーカーが叫んでいた。そしてこのことが後に幸運をもたらすことになる。

推薦を受けてツーリングレースに出場し優勝
翌年、スパのツーリングカーレースは2時間レースとなり、アメリカ3大メーカーがワークスカーを持ち込み参戦することになって、格式が上がった。GM(General Motors)はこのレースに、ハイドラマチック付きオールズモビル88を4台エントリーしたが、当時ベルギーのオールズモビル・ディーラー、アンドレ・ピサールは素早く、その頃ベルギーで最も有名なレーサー、ジョニー・クラース、アンドレ・ピェット、ジャック・スワターという3名を確保した。さて、4台目のGMのドライバーに選ばれたのは誰か?それが、当時ベルギーで最も影響力の強かったモータースポーツ・ジャーナリスト、ジャック・イクス(元F1ドライバー、ジャッキー・イクスの父親)の推薦を受けた私だった。ジャックは前年のレースで私がXK120で出した最速ラップを覚えていて、アンドレ・ピサールに私のことを強く推してくれたのだ。長い話は省略するが、いくつかの幸運が重なって、最後はガソリンタンクが空のまま惰性でフィニッシュ、優勝を飾った。
 
予期せぬ幸運、そして夢のような日々
写真はHWM 2リッター・フォーミュラ2で、1951年当時のもの。その翌年、私は幸運にもこのチームからF1に参戦することになる。
その約2週間後、またまた予期せぬ幸運が舞い込んだ。なんと私を、その年のF1ベルギーグランプリ(それは同時にヨーロッパグランプリでもあった)の招待選手にしてやろうという、夢のような手紙がベルギー王立自動車クラブから届いたのだ。ただし、適当なクルマを確保できたらという条件付きだった。
私はほんのわずかだがツテのあった、HWM(F1グランプリに参戦していた英国のチーム)に勇躍乗り込んでいった。しかし、グランプリに出るクルマを貸してくれという私の頼みに対する返事は、丁重な「ノー」だった。
他にあてもなく、ほぼ諦めかけていたところに、HWM社から電話があり、ベルギーのシメイという街でおこなわれる「グランプリ・デ・フロンティエール」というマイナーなレースだが、ドライバーの都合でシートが空いたから乗らないか、と誘われた。もちろん私は即座に承諾し、翌朝飛ぶようにしてサーキットに向かった。雨のプラクティスでスピンしたりして、それなりに紆余曲折もあったが、ポールポジションを獲得。緊張のあまりスタートでは失敗したが、レースには優勝した。
そして、優勝賞金等を獲得したHWMは上機嫌になり、喜んで私にF1グランプリ用のマシンを貸してくれることとなった。そうしてベルギーGPに出場した私は、当時無敵だった2台のフェラーリ、ゴルディーニ、マイク・ホーソーンの駆るクーパー・ブリストルに次いで5位に入賞。このことがきっかけとなって、私は他の偉大なレーサーたちにまじってレーサーとしてのキャリアを歩み始めたのだった。「事実は小説より奇なり」という言葉があるが、運に恵まれたとはいえ、私の場合、事実は私の想像をはるかに凌駕してしまった。今思えばまさに夢のような日々であった。
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