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「Fun to drive」なドリームカー
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フォードV8ロードスターは、スポーツカーとして充分な魅力を備えた「Fun
to drive」なクルマだった。 |
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私が思い描いていたドリームカーをまさに具現化したクルマ、モーガン・プラス4。 |
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ここで、この物語は1930年代の前半に戻る。1932年当時、ウィーンに住んでいた頃は、フォードV8エンジンが強烈な印象として記憶に残っている。特にライトウェイト・ロードスターは、馬力が75PS(1934年からは85PS)で加速力の不足はあったが、トルクは驚くほど豊かで、スポーツカーとしての充分な魅力を備えた「Fun
to drive」なクルマ、すなわち運転して楽しいクルマであった。しかし、私が本当に欲しかったのは、もう少し小さくて、もっと軽くて、そして真に「Fun
to drive」なクルマで、その頃は夜ごと夢にまで見ていた。つまり、トルクフルなエンジンを搭載した軽くて敏捷なクルマである。
その私のドリームカーは、戦後(1950年)になって、OHV4気筒2088ccエンジン(内径85mm×行程92mmのロング・ストローク・フォア)と4速ギアボックスを組み合わせてつくられたモーガン・プラス4という形となって実現することになった。モーガンに触発されたか、50年代から60年代にかけて、アメリカ製V8エンジンとヨーロッパ製シャシー技術の組み合わせは、アラード、イソ・リヴォルタ、ビッザリーニ5300GTとそのラグジュアリー・モデル、イソ・グリフォ、ファセル・ヴェガ、モンテヴェルディといった、自動車史上に名を残す、多くの名スポーツカーと名GTカーを輩出した。このことから察するに、私の夢はそう非現実的なものでもなかったようだ。
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大学時代の憧れのクルマ、アストン・マーティン・インターナショナル。 |
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1930年代後半、大学生となった私にとっての憧れ、夢のクルマといえば、ちょっと時代遅れのアストン・マーティンであり、HRG(英国のスポーツカーとレーシングカーの少量生産メーカー)であった。その当時もっとも先進的といわれた、BMW328ロードスターを親に買ってもらった学友がいて、運転させてもらったのだが、少しも感銘を受けなかった。チューブラーフレームを採用した流れるようなライトウェイト・ボディは、インディペンデント・フロントサスペンションが装着されており、ステアリングはラック・ピニオン、という最先端のスペックであった。しかし、加速こそ凄かったが、オーバーステアの強い、ハンドリングの非常に難しいクルマで、私好みではなかったのがネガティブな印象の最大の理由だった(BMWは、後年レースで得た経験をもとに、リアサスペンションのジオメトリーを改良して、そのオーバーステアを修正した)。
スポーツカーに想いを馳せて
1940年、ナチス・ドイツがベルギーに侵略してきた。私も兵士となって戦わなければならないところだったが、ベルギーがたった10日で陥落したため、兵役につくことはなかった。ドイツ占領下では当然ドライビングを楽しむという状況にはなく、大好きなクルマのことは夢見るだけ、空想の中で想いをめぐらせていた。暇さえあれば、自分の理想とするスポーツカーをデザインしていた。最も影響を受けたのはブガッティ・タイプ57(レーサーを除けば最も優れたブガッティとの定評を持つ)だった。エンジン(DOHC直列8気筒3.3リッター)、パワートレイン、軽合金が随所に使われたシャシー、ダブルウィッシュボーン・フロントサスペンションと、どれをとってもほぼ理想的であった。残念なことに私が描いたデザイン画はすべて戦争で失われてしまったが、それらのドリームカーは、決して実現しない、所詮かなわぬドリームでしかなかったので諦めもついた。
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レースカーを除いて、最も優秀なブガッティとの定評を持つ、ブガッティ・タイプ57。 |
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しかし、現実は時として夢をも飛び越えて、超現実となることもある。いったいどういう経緯で、ある日私自身がコクピットにおさまり、生まれて初めてのワールド・チャンピオンシップ・グランプリレースのスターティング・グリッド上で、レースの開始を待つはめに至ったのか・・・。このノンフィクション・ストーリーには、私のドリームカーの1台であったジャガーXK120が関与しているが、その顛末は、続く「中篇」でご紹介したい。
(中篇に続く) |
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