Enjoy Honda Sports Enjoy Honda Sports TOP Sportscar web TOP Hondaホームページへ Sportscar web TOP
Spirit of Honda SportsEnjoy Honda SportsLet's try! Sportscar DrivingHow to Do! Driving Meeting
Enjoy TOP12
●SPORTS CARS, MY LIFE AND MY DREAMS(前篇) by ポール・フレール 1/2
これは、私の理想とする夢のスポーツカーライフを中心テーマとして、さまざまな国で見たこと、自分はこう想うという理想や夢、あるいは自分で実践しているスポーツカーライフについて書いたものである。
この原稿の依頼を受けたとき、これはとても楽しい仕事である反面、大変なことでもある、と思った。なぜなら、私自身の体験や、憧れたスポーツカー、実際に乗った(所有した)スポーツカー、そしてスポーツカーとの暮らしのエピソードを交えて「夢のスポーツカーライフ」を書くこと。それはすなわち、80年に及ぶ私の自動車との関わりを書くことであり、到底一回では語り尽くせない。そこで、このSPORTS CAR WEBの担当者に無理を聞いてもらって、3回の連載にしてもらった(本当はそれでもまだ足りないくらいだが・・・)。しばし、お付き合いいただきたい。
 
スポーツカー、そしてレースへの愛の芽生え
私も皆さん同様、幼い頃から自動車に強い関心があった。事実、私の両親が初めて自動車を購入したのは1922年、当時私はまだ5歳だったが、彼らがどのクルマを買うかということで相談するのを飽きもせず、じっと聞き入っていたものだった。
サルーンタイプの自動車を買うことはすでに決まっていたが、彼らはシトロエンのB2にするか、フィアットの501にするかで迷っていた。B2も501もサイドバルブエンジンを搭載した1400ccクラスのクルマで、ホースパワーは20PSそこそこであった。フィアットのほうが値段は高かったが、シトロエンの3速に対してフィアットは4速であり、フィアットはバネが前後とも半楕円だからという理由で、父親はフィアットを最終的に選択した。
当時はパリから15キロほど離れたところに住んでいて、父親はフィアットを主にパリのオフィスまで通うのに使っていた。たまに両親に連れられて、たくさんのクルマを見ることのできるパリに行くのが楽しみで、パリの街中で1日中飽きもせずクルマを眺めていたものだった。その1年後には、フランスを走るほとんどのクルマのメーカー名を言えるようにまでなり、周囲を驚かせた。
 
しかしその当時、普通の道路を走るスポーツカーは極めて稀で、私自身その存在を強く意識したのは、私が9歳の時に、母方の叔父が自慢の愛車ビュイックで連れて行ってくれた、スパ・フランコルシャン・サーキットで行われた24時間レースに行く道すがらのことであった。サーキットに向かう途中、電光のような凄まじいスピードで我々のビュイックを追い抜いて行ったウェイマン・ボディのブガッティ・クーペを見て、あんなに速いクルマがこの世にあるのかと思ったものだ。
しかし私のスポーツカーへの愛を決定的にしたのは、その2年後、11歳の時に同じスパ・フランコルシャン・サーキットで観たレースだった。レースはイワノフスキーとマリノーニが運転する過給機付きアルファ・ロメオ6C 1500 GS(グラン・スポルト)が圧倒的な強さを見せて優勝したが、私は、エキサイティングな高速コーナリングとクルマを駆使して闘うドライバーの美しさに魅せられ、まるで雷に打たれたようなショックを受けた。それ以来今日まで80年近く、私のスポーツカーとレースへの情熱はそのままに続いており、同時にスパ・フランコルシャン・サーキットへの愛も不変のままである。
 
手の届く憧れのクルマ、MGミジェット

一目見て恋に落ちたJ2 MGミジェット。私にとっては何もかもが完璧なスポーツカーに思えた。
その後、父親の仕事の都合でベルリンに移住し、私は学校が長期休暇に入るとブリュッセルの祖父母の家で過ごすのが慣例となっていた。前述の叔父は、その頃ブリュッセル郊外でブドウを栽培していて、ビュイックのほかに、シトロエン5CVを所有していたが、クルマ好きの私が訪ねて行くたびにシトロエンを貸してくれた。おかげで、13歳の時にはもう一人前にクルマの運転ができるようになっていた。
1933年、イギリスで夏休みを過ごしたとき、私はJ2 MGミジェットを見て、恋に落ちる。J2ミジェットはスタイルといい、レースの経験を採り入れたリモート・コントロール・ギアレバーといい、インストルメントの美しさ、リアに積まれた大型ガソリンタンク、ストラップでリアに取り付けられたスペアタイヤ、高出力(36ps)SOHC847ccエンジンと、私にとっては何もかもが完璧なスポーツカーに思えた。
今までに所有したことこそないものの、レースでの活躍もあいまって、以来MGは私の大好きなメーカーとなった。むろん、その当時、スーパーカー的存在であったアルファ・ロメオ 6C 1750や、ブガッティ タイプ55などに対する憧れや畏敬の念は持っていたものの、アルファ・ロメオもブガッティも所詮高嶺の花であったし、私は最初から小振りなクルマが好きだった。そういう意味ではMGは手の届く憧れのクルマだったと言える。
 
1930年代後半、ブリュッセル大学在学中にクルマ好きの仲間と出会い、4人でグループをつくった。そのうちの一人が後日、随分と酷使された中古のPタイプMGミジェットを購入した。PタイプはJ2の後継車で、J2との基本的な違いは旧式だった2ベアリング型のクランクシャフトが3ベアリングに改良されたことのみだった。早速、私は彼のメカニックを買って出て、メンテナンスとチューニングを任せてもらった。無論、そうなれば、時々運転する機会にも恵まれることを期待してのことであった。

アルファ・ロメオ6C 1750。当時の私にとっては高嶺の花だったが、強い憧れと畏敬の念を抱いた一台である。
J2の後継車であるPタイプは、案の定、嬉しくなるほど楽しいクルマで、クルマを持たない私は口実を設けては友人から借り出して乗り回していた。私の初めての四輪レース、1948年のスパ・フランコルシャン24時間耐久レースで、レース直前に気後れしたオーナーからドライバーを譲られた私が乗ったのは、13年もの年月を経た旧いMG(PB MG=Pタイプを939ccにチューンナップしたモデル)であったのも偶然というよりは何かの縁であったかもしれない。レースの結果は?万人の予想に反して、雨と霧の中で奮闘・完走した上に、まるで追いつけないフィアットとシムカ・ゴルディーニのワークスカーに次いで、クラス3位に入賞したのだった。
PF氏追悼ページへ戻る Enjoy TOP12
フッタ
ホームへ 検索へ お客様窓口へ ご意見・ご感想へ マップへ ホットニュースへ ホームへ