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| ●ポール・フレールの「あるベルギー人のHondaエンスージャスト物語」 | ||||||
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Hondaの250cc 6気筒のレーシング・マシンが1万8000rpmという高回転(今から40年も前に!)の強烈なエンジンを搭載しているという事実は、ティーンエージャーであったルーク・デ・プランスにとって衝撃的で、彼はその時以来、終生変わらぬ熱狂的なHondaファンになったという。
60年代初頭にS500とS600という二輪の技術を採用した小型のスポーツカーからスタートしたが、そこから本田宗一郎の夢は大きく飛躍し、自動車作りの経験や技術的裏付けもほとんど持たないまま、彼はいきなり世界最高峰の技術を競うF1に参戦を決意。当時圧倒的な強さを誇っていたフェラーリ、ロータス、BRMといったチームに真っ向から挑戦していったのだった。そして、1.5リッターV12エンジンを横置きに搭載した、従来とはまったく異なるマシンでレースに参加、たった1年余りで初勝利を獲得。世界中をあっと言わせることになる。 HondaがF1で初勝利を収めたのは1965年のことだったが、若きルークにとってクルマやモーターサイクルはまだ憧れでしかなく、その後数年は我慢しなければならなかった。 やがて16歳になった彼が運転できたのは50ccクラスのバイクだけで、彼の「究極の夢」であるS600はまだ手の届かない遠い存在だった。Hondaはベルギーのアールスト(Aalst)に工場を建て、1963年から二輪車の生産を開始していたから、ルークは16歳になるとすぐにHonda C110(ヨーロッパ限定モデル)というバイクを購入した。
ルークは、現在も所有している愛着の深いXL600に乗ることも最近は少なくなったと苦笑するいっぽうで、Honda製バイクを駆って、いままでにヨーロッパ中を旅をした距離は30万km以上になるはずだと自慢げに語る。 18歳になり、彼はついに自動車免許を取得、これで晴れてどんなクルマにもモーターサイクルにも乗れると喜んだ。むろん彼が真っ先に向かったのはHondaディーラーだった。(第3話へ続く) ルーク・デ・プランス(Luc de Prince) 筆者ポール・フレール氏の義理の息子。1950年にベルギーの首都、ブリュッセルに生まれ育つ。1988年にポール・フレール氏の娘と結婚。 |
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