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●ポール・フレールの「あるベルギー人のHondaエンスージャスト物語」
彼の名はルーク・デ・プランス(Luc de Prince)。
1950年にベルギーの首都、ブリュッセルに生まれ、そこで育った。そしてルークは、私の義理の息子にあたる。1988年に私の娘と結婚したからだ。彼は現在もブリュッセルに暮らし、2軒の高齢者用高級マンションの共同オーナー兼経営責任者(社長)という肩書きを持っている。

物語の主人公、ルーク・デ・プランスの近影。パリのエンジン・スペシャリストの工場にて。台の上に置かれたエンジンがどのHonda車のエンジンかわかる人は相当なHonda通です。
彼は赤ちゃんの頃から無類のクルマ好きで、“ママ”の次におぼえた言葉が“オート”(AUTOはフランス語でクルマという意味)だったと言われているほど、ともかくクルマとモーターサイクルのオモチャさえあればごきげんな子供だった。クルマとモーターサイクルは彼にとってのすべてであり、彼の世界は、他には存在しなかった。読み書きができるようになると、さっそく自動車とバイクに関する雑誌やカタログをかたっぱしから夢中で読み漁った。

1960年代、彼がティーンエイジャーだったころ、世界で最も重要かつ権威のあった二輪のレースは依然として、アイリッシュ・コーストの沖に浮かぶマン島で行なわれていた、51kmの距離を競うTTレース(ツーリスト・トロフィー)であった。クラスは3つ、250cc、350cc、そして500cc(後年125cc、250cc、500ccに変更された)で、6周か7周のいずれかで行なわれるレースは、全クラスの予選と決勝が1週間にわたって繰り広げられた。
通常30台から60台のレーシング・マシンが参加したが、コースが狭く、非常に危険なこともあって全車が同時にスタートすることは不可能だったため、30秒というインターバルで数台ずつがスタートしていく変則的なスタイルだった。コンペティション・ライセンスさえ所有していれば、ジェフ・デュークやジャコモ・アゴスティーニ、マイク・ヘイルウッドやフィル・リードといった超有名トップ・ライダーから、果てはほとんどレース経験もないアマチュアまで、誰でもレースにエントリーできた。

1987年に購入したHondaアコード、彼が買った初めてのファミリーカーである。
60年代初め、第二次大戦直後から圧倒的な強さと人気を誇ってきた、ノートン、ヴェロセット、AJSといったバイクは、マルチシリンダーを備えたイタリアのジレラ、MVアグスタ、小さいクラスではモト・グッチやFBモンディアルといったバイクに主役の座を取って代わられ、レースからの撤退を余儀なくされた。そんななか、HondaがTTレース一本に絞って、ヨーロッパのメーカーに立ち向かっていったのは非常に勇気の要る挑戦であったと言える。そしてその挑戦はやがて、当時はまだ名前が知れ渡っていなかったHondaという日本の二輪メーカーに、ヨーロッパにおける大きなアドバンテージというかたちで戻ってくるのだった。(第2話へ続く
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フッタ
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