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| ●ポール・フレールの「Me and Honda」 |
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その時代のHondaの自動車開発は、依然彼らの得意分野であったバイクのテクノロジーに負うところが大きかった。そのことはチェーンドライブで後輪を駆動するS500やS600や、それらのクルマに積まれた、高出力高回転型エンジン(なんとレッドゾーンは1万回転に刻まれていた!)に象徴される。さらにはHondaがF1にデビューしたニュルブルクリンク・サーキットでの1964年ドイツGPで、アメリカ生まれのロニー・バックナムが乗ってレースした、常識にまったくとらわれず開発されたHonda初のF1カー、RA271のスペックを見れば、この当時のHondaがいかにバイクのテクノロジーに大きく影響されていたかが良くわかる。 F1での処女レースにもかかわらず、Hondaは明らかに安易な道は選択しなかった。Hondaの多気筒エンジン・レーシングバイク同様、横置きに積まれた12000回転以上まわるエンジン、メインローラーベアリングとビッグエンドベアリング、機械式燃料噴射装置と独立式排気装置といった技術は純粋にバイクの世界からの応用であった。 Hondaの当初の計画では、ヨーロッパのトップF1コンストラクターのひとつにエンジンを供給することを考えていた。しかし当時どのチームも横置きのエンジンを採用できる態勢になかったため、やむなく100%自社製のF1マシンを製作することになったのだが、そのことによってHondaのイメージはより強烈なインパクトをともなって人々にアピールした。 特に1.5リッターエンジンでの最後のF1レース、1965年メキシコGPでリッチー・ギンサーの操る改良型RA272がすべてのコーナーで他を圧倒し、Hondaに初勝利をもたらすにいたって、Hondaの名は多くの人の記憶に強く印象づけられたのだった。 F1参加たった1年半にして、Hondaの型破りで革新的なレーシングカーは勝者となった。 私が初めてRA270を目にしたのは、RA271にとって第2戦目となる1964年イタリアGPでのことだった。そしてそれは私と当時Honda F1カーの開発責任者であった中村良夫との最初の出会いでもあった。この物腰の柔らかい、謙虚でありながらも優秀な技術者こそ、その後の20年間のHondaのF1活動において中心的役割を果たし、良き友人として多くの人の尊敬を集めた人物でもあった。(第3回に続く) (写真提供 カーグラフィック) |
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