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| ●ポール・フレールの「Me and Honda」 |
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日本から戻って約6週間後、私はドイツのHonda研究所から手紙を受け取る。中には川本信彦からのリクエストにより、CR-Xをなるべく早いうちにお戻しすると書かれてあった。 数日後フランクフルトに飛び、オッフェンバッハの近くでCR-Xを受け取った私は登録ナンバーが以前と違うことに気付いた。これは本当に私がテストしていたCR-Xだろうか?走行距離は3万3千キロになっていた。私が返した時が3万キロで、南仏からオッフェンバッハまで約千キロだから、走行距離的には不思議はない。だがなぜ登録しなおされたのだろう? 何が起きたか知る由もないが、確かなことはオッフェンバッハに戻った我がCR-Xは、一度さる人物の名義となり、私の手元に戻る直前に改めてHonda研究所の名前で登録し直されたのだ。 3万1千キロから3万3千キロまでの2千キロ分、CR-Xを所有し乗っていた人は誰なのだろうか?そして私の元に2度目に返ってきたCR-Xはどのような処置が行われたのかはっきりとしたことはわからなかった。しかし私の元に戻ってきたCR-Xは、明らかにブレーキ・ディスク(前後とも)やノイズの出ていたドライブシャフトは交換されて新品になっていたし、満足のいくレベルにまで改良されたショック・アブソーバーが装着されていた。 その他には、Hondaによるフル車両点検サービス以外、何も手が加えられていないようだった。1992年に我が家へ戻ってきた時に付いていた新しい登録ナンバーは「OF-AX」で、それ以来CR-Xは、私を含めて家族から「Ofax」という愛称で呼ばれている。 そしてしばらく乗っているうちに、再びブレーキが片減りし始めた。その時ふと思いつき、試しにローターを新しいものと交換せず研磨してみたら、これが正しい方法だったようで、ブレーキの問題はついに解決した。 1992年の春にCR-Xデルソルがデビューした時、次期長期テストにどうかという誘いを受けたが、Hondaと協議の結果「Ofax」を維持し続けることになった。 1993年9月、パリ市内を走っていたときにデリバリー・バンに横から衝突された。ラッキーだったのは、ぶつけられた箇所がリアホイールの約1センチ後ろだったためにサスペンションに影響が及ばなかったことだ。ダメージは軽くてもボディはへこんでしまったので、パリから家に戻る代わりに、まっすぐオッフェンバッハのHonda研究所に持って行き、プロによる修理を頼んだ。おかげでしばらくすると「Ofax」は以前と変わらぬ姿で戻ってきた。 「Ofax」とは、多くの長距離旅行をともにした。ル・マンには何回も一緒に出かけたし、私の故郷のベルギーにも、ドイツにも何度か一緒に旅した。しかしおそらくもっとも彼女が真価を発揮した旅は、1996年のル・マンのあとに英国グッドウッドで開催されたフェスティバル・オブ・スピードに行った時のことだろう。 最初のプランでは、イベント終了後ポーツマス近くの宿を朝の8時ごろ出発して、南仏の自宅までの間のどこかで一泊したあと帰宅するつもりだった。出発の日、予定通り8時ごろホテルを出て南下、ドーバー海峡はシャトル・トレインに「Ofax」ともども乗って渡り、フランス上陸後さらに南を目指した。「Ofax」のエンジンがあまりにも快く回り、快調に走るので、つい調子にのってそのまま給油の時以外ノンストップでニースまで戻った。したがってニースに到着した時にはまだ陽の光が残っていた。つまり、イギリス南部の半分を縦断し、シャトル・トレイン上での中断をはさんで、フランスの最北端から最南端まで一日のうちに一気に駆け抜けたのだ。 私たち夫婦がモナコに住民票を移す際、我々は「Ofax」を手放すか、買い取ってモナコのナンバーを取得するかのどちらかを選ばなければならなかったが、私には手放すつもりなど毛頭なかった。その時点での走行距離は8万5千キロ、ついに「Ofax」は私のものになった。 「Ofax」には常に適切な整備を施し、定期的に洗車している。1年に1回、私自身の手でワックスがけもしているから今でも見た目はほぼ新車同然だ。もう少ししたら14万キロ点検に出すことになるが、今まで「Ofax」と暮らしていて困ったことは一度もない。 今でも新車時と同レベルのオイル消費量だし、ありがたいことにクラッチの減りも遅い。何かが悪くなったりすることなどなく、ワイパーやパワー・ウィンドウでさえ壊れたことがない。そしてデリケートなVTECバルブ・ギアも最初の時同様好調だ。フロントシート表皮のダメージが目立つ程度で、品質に関して言えば、我が家のCR-Xは、文句なしに私が今までに所有した中でベストカーである。(第8回に続く) (写真提供 カーグラフィック) ポール・フレール氏 “世界でもっとも尊敬され、信頼されている自動車ジャーナリスト”。それがポール・フレール氏を語るにふさわしいプロフィールである。それと同時に自動車ジャーナリストの草分け的存在でもある。 フェラーリでル・マン24時間レースに優勝し、F1でも好成績をあげた偉大なるドライバーであったことは有名。その経験にもとづく高いスキルと鋭い洞察力、そして尽きることのない好奇心、素晴らしい人間性をあわせ持つ氏の評論は、わかりやすく奥深い。 川本信彦 本田技研工業(株)元代表取締役社長(1990〜1998年)。1965年のF2参戦、そしてF1のエンジニアを務め、NSXの開発を推進し、S2000の開発に対しても助言を行った。モータースポーツをこよなく愛する人物。趣味でヒストリックカーレースなどにも参戦している。現相談役。 |
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