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サイバースポーツというコンセプトとともに、スポーツマインドを持ったドライバーたちの間で圧倒的な人気を博したCR-X1.6SiR。 |
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FFスポーツの名機、CR-X。都会的な洗練されたスタイリングで多くの若者を魅了した。 |
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ドイツのオッフェンバッハにあるHonda研究所の担当者が、我が家にあった4台目の長期テスト用CR-Xクーペ(VTECツインカム・エンジン搭載)を引き取りに来たのは、預かってテストを始めてから15カ月目、走行距離はちょうど3万キロに達していた。
すでにテスト期間は過ぎていた。予定したよりも長く預かっていたこともあって、私はこのCR-Xをとても気に入っており、深い愛着を感じていた。しかし、すべての素晴らしいことに必ず終わりがあるように、私とCR-Xとの蜜月にも遂に終わりがきたようだ。私が渋々さしだしたキーをその人が受け取り、CR-Xに乗って走り去っていくのを非常につらい想いで見送ったのを覚えている。
その15カ月間、私は文字通りCR-Xの中に缶詰となって、あらゆる点をチェックしたつもりだ。
エンジンとギアボックスは非の打ち所もない完璧なものだった。しかし細かな点に目を向けると、ちょっと粗いアスファルト路面で上下動を起すショック・アブソーバーのフィーリングが少し気になった。Hondaにそのことを伝えると、新品のショック・アブソーバーが送られてきた。交換してみたが、基本的に症状は改善しなかった。
その問題は、次に送られてきた別のショック・アブソーバーによって解決した。しかしそれは、一度手元を離れたCR-Xクーペが再び私のところに戻ってきてからのことだった。どうやら次のモデル、CR-Xデルソル用のショック・アブソーバーが装着されていたようだ。
また、ブレーキ・ディスクにも問題があった。90年代の初め、私はフィアット社のコンサルタントをしていたこともあって、アルプスを越えてトリノを何度も行き来した。ブロース(Braus)からブルイース(Brouis)、テンダ(Tenda)を抜けてトリノへと向かうアルプスの山道は、CR-Xのポテンシャルをテストするには恰好のコースで、私はあらゆる角度からCR-Xを試した。むろんブレーキは最重要チェック項目のひとつで、最初のうちはフェードしなかったものの、何度かのアルプス越えのあとに、ひずみが生じたのか、やや不快な息継ぎを見せ始めた。
新しいディスクに交換しても、1万キロくらい走行すると同じような症状が起きた。もうひとつ気になったのは、走行距離が2万8千キロほどになったころ、ハードブレーキングでホイールをフルロックさせると、フロント・ドライブ・ユニバーサル・ジョイント部分から、かすかなノイズが出始めたことだった。
CR-XをHondaの研究所に返してから2〜3ヶ月後、私はカーグラフィック誌の招待で再び日本を訪問した。1992年はカーグラフィック誌が創刊されて30周年ということで、特別なプログラムがいくつか組まれていて、その日は谷田部にあるJARI(日本自動車研究所)のオーバル・テストコースで様々なクルマを試乗するというスケジュールだった。
そこで私は、日本でも屈指の自動車収集家として名高いH氏に紹介された。その場にはもうひとりビッグなゲストが招かれていた。当時の本田技研工業社長、川本信彦氏である。寛大なるH氏のご好意によって、JARIに運び込まれた彼のヒストリック・レーシングカーのうち数台を、川本さんとカーグラフィック誌の小林彰太郎さんと私とで試乗することになった。
激しい雨のなかではあったが、我々3人はDタイプ・ジャガー(私にとってはレースをともに戦った旧友である)と、私自身それまで一度も運転したことがなかったマセラーティ250Fとスーパーチャージャー付き2.3リッターブガッティ・タイプ35Bという、いずれも一世を風靡したレーシング・マシンを代わるがわる乗り比べて大いに楽しんだ。その場にはマセラーティ300Sもあって、川本さんはこのマシンが特にお気に召したようだった。
JARIのコースには、他にもカーグラフィック誌が集めたNSXを筆頭に、マツダRX-7、ポルシェ911カレラRS、アルファ・ロメオSZ(ES30)といった当時を代表するスポーツカーもJARIに運び込まれてきていた。ポルシェの横に川本さんを乗せてコースを数周したあと交代し、今度は川本さんの運転するポルシェでテストコースを数周したのを覚えている。
川本さんとは以前にも数回お目にかかったことはあったが、この日ほど長時間にわたって親しく過ごしたことはなく、すっかり濡れてしまった身体と服を乾かす間に、ついさっき乗ったクルマのことなどいろいろと話し合った。
我々の話題はその後、私が預かって長期テストを行っていたCR-Xに移り、私はどれほどそのCR-Xを気に入っていたかについて話し、エンジンやギアボックスの素晴らしさを褒め、テストの間に見つけた弱点を川本さんに熱心に語ったのだが、その時の会話が予期せぬ結果をもたらすとは夢にも思わなかった。 |
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