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チームヒストリー

2024~2021  |  2020~2011  |  2010~2001  |  2000~1991  |  1990~1981  |  1980~1971  |  

年 月内 容
2024  
令和6年2月

BU David Hemery Valentine Invitational(アメリカ)室内1マイルにて青木涼真選手が3分54秒84で13位、日本新

大阪マラソンにて小山直城選手が2時間06分33秒で3位

令和6年1月全日本実業団対抗駅伝(群馬)にて2位
2023  
令和5年12月
防府読売マラソン(山口)にて足羽純実選手が2時間08分37秒で2位
令和5年10月マラソングランドチャンピオンシップ(東京)にて小山直城選手が2時間08分57秒で優勝
令和5年9月アジア大会(中国)3000mSCにて青木涼真選手が8分23秒75で2位
令和5年8月世界選手権(ハンガリー)3000mSCにて青木涼真選手が8分20秒54で予選5位、日本選手20年ぶりとなる決勝進出、8分24秒77で決勝14位
令和5年7月

ゴールドコーストマラソン(オーストラリア)にて小山直城選手が2時間07分40秒で優勝(大会新)

アジア選手権(タイ)3000mSCにて青木涼真選手が8分34秒91で優勝

令和5年6月

日本選手権(長居)5000mにて小袖英人選手が13分25秒93で7位、3000mSCにて青木涼真選手が8分37秒93で7位

令和5年5月ゴールデンゲームズinのべおか(宮崎)5000mにて伊藤達彦選手が13分17秒65でHonda新・日本歴代8位(当時)
令和5年4月

金栗記念選抜陸上(熊本)10000mにてイェゴン・ヴィンセント選手が27分37秒85で優勝

兵庫リレーカーニバル2000mSCにて青木涼真選手が5分30秒39で優勝

織田幹雄記念国際陸上(広島)1500mにて荒井七海選手が3分40秒24で優勝(大会新)、

3000mSCにて青木涼真選手が8分35秒60で優勝

令和5年2月別府大分毎日マラソン(大分)にて木村慎選手が2時間07分55秒で6位
令和5年1月全日本実業団対抗駅伝(群馬)にて優勝し史上7チーム目の連覇を達成。5区青木涼真選手が区間賞
2022  
令和4年9月全日本実業団陸上(長良川)1500mにて青木涼真選手が3分40秒90で優勝
令和4年7月世界選手権(オレゴン)3000mSC予選3組にて青木涼真選手が8分33秒89で11位、 10000mにて伊藤達彦選手が28分57秒85で22位
令和4年7月ホクレンディスタンスチャレンジ北見大会3000mにて荒井七海選手が7分48秒50で優勝・日本歴代5位(当時)・Honda新世界選手権(オレゴン)3000mSC予選3組にて青木涼真選手が8分33秒89で11位、10000m決勝にて伊藤達彦選手が28分57秒85で22位
令和4年6月日本選手権(長居)1500mにて荒井七海選手が3分44秒58で6位、3000mSCにて青木涼真選手が8分20秒09で2位・日本歴代5位(当時)・Honda新ホクレンディスタンスチャレンジ20周年記念大会(深川)1500mにて荒井七海選手が3分36秒63で優勝・日本歴代3位(当時)・Honda新
令和4年5月日本選手権(国立)10000mにて伊藤達彦選手が27分47秒40で2位
仙台国際ハーフマラソンにて小山直城選手が1時間02分07秒で3位
令和4年4月兵庫リレーカーニバル1500mにて荒井七海選手が3分41秒08で優勝
令和4年2月全日本実業団ハーフマラソン(山口)にて中山顕選手が1時間00分38秒で2位、日本歴代8位(当時)
令和4年1月全日本実業団対抗駅伝(群馬)にて39回目の出場で初優勝、6区中山顕選手、7区土方英和選手が区間賞
2021  
令和3年12月福岡国際マラソン(福岡)にて田口雅也選手が2時間09分35秒で8位
令和3年9月全日本実業団陸上(長居)
1500mにてジャスティスソゲット選手が3分39秒91で優勝
5000mにてジャスティスソゲット選手が13分17秒21で優勝、青木涼真選手が13分21秒81で2位・Honda新
令和3年7月東京五輪 3000mSC予選にて青木涼真選手が8分24秒82で9着、10000m決勝にて伊藤達彦選手が29分01秒37で22位
令和3年6月日本選手権(大阪)1500mにて荒井七海選手が3分40秒65で5位、3000mSCにて青木涼真選手が8分20秒70で3位
令和3年5月日本選手権(静岡)10000mにて伊藤達彦選手が27分33秒38で優勝
令和3年5月Portland Track Festival(アメリカ)1500mにて荒井七海選手が3分37秒05で日本新、Honda新
令和3年2月びわ湖毎日マラソン(滋賀)にて土方英和選手が2時間06分26秒で2位・日本歴代5位(当時)
令和3年1月全日本実業団対抗駅伝(群馬)にて5位
年 月内 容
2020  
令和2年12月日本選手権(長居)3000mSCにて青木涼真選手が8分30秒81で3位、10000mにて伊藤達彦選手が27分25秒73で2位・日本歴代2位(当時)・Honda新
令和2年7月ホクレンディスタンスチャレンジ千歳大会(北海道)3000mSCにて青木涼真選手が8分25秒85で4位・日本歴代6位(当時)・Honda新
令和2年2月BU Last Chance Meet(アメリカ)室内1500mにて荒井七海選手が3分39秒51で室内日本新
令和2年2月青梅マラソン(東京)30kmにて田口雅也選手が1時間30分45秒で優勝
令和2年2月熊日30kmロードレース(熊本)にて設楽悠太選手が1時間29分47秒で優勝
令和2年2月全日本実業団ハーフマラソンにて団体優勝(木村慎選手・原法利選手・小山直城選手)
令和2年1月全日本実業団対抗駅伝(群馬)にて3位
2019  
令和元年7月サンセットツアー(アメリカ)1500mにて荒井七海選手が3分38秒18でHonda新
令和元年7月ゴールドコーストマラソン(オーストラリア)にて設楽悠太選手が2時間07分50秒の大会新で優勝
令和元年6月日本選手権(福岡)1500mにて荒井七海選手が3分41秒57で3位、5000mにて設楽悠太選手が13分47秒31で8位
平成31年4月小川智氏が監督に就任
2018  
平成30年12月福岡国際マラソンにて設楽悠太選手が2時間10分25秒で4位
平成30年9月全日本実業団対抗陸上(長居)1500mにて荒井七海選手が3分42秒86で3位
平成30年6月日本選手権(山口)1500mにて荒井七海選手が3分53秒06で2位
平成30年2月東京マラソンにて設楽悠太選手が2時間06分11秒で2位、日本新、Honda新
平成30年2月唐津10マイルロードレース(佐賀)にて設楽悠太選手が46分12秒で優勝
平成30年1月都道府県対抗駅伝(広島)にて設楽悠太選手が埼玉県チームで出場し優勝、7区区間賞
平成30年1月全日本実業団対抗駅伝(群馬)にて過去最高順位タイの2位、4区設楽悠太選手が区間賞
2017  
平成29年12月甲佐10マイルロードレース(熊本)にて設楽悠太選手が45分58秒で優勝、Honda新
平成29年11月八王子ロングディスタンス10000mにて設楽悠太選手が27分41秒97でHonda新
平成29年11月東日本実業団対抗駅伝(埼玉)にて2年ぶり6回目の優勝
平成29年9月ベルリンマラソン(ドイツ)にて設楽悠太選手が2時間09分03秒で6位、佐野広明選手が2時間11分24秒
平成29年9月全日本実業団対抗陸上(長居)1500mにて荒井七海選手が3分43秒52で3位
平成29年9月マトニ・ウスティハーフマラソン(チェコ共和国)にて設楽悠太選手が1時間00分17秒で8位、日本新、Honda新
平成29年9月シドニーマラソン(オーストラリア)にて服部翔大選手が2時間15分16秒で優勝
平成29年6月日本選手権(長居)5000mにて設楽悠太選手が13分54秒71で7位
平成29年3月びわ湖毎日マラソン(滋賀)にて石川末廣選手が2時間11分05秒で6位
平成29年2月東京マラソンにて設楽悠太選手が2時間09分27秒で11位
平成29年2月全日本実業団ハーフマラソンにて山中秀仁選手が1時間02分00秒で5位
平成29年2月香川丸亀国際ハーフマラソンにて設楽悠太選手が1時間01分19秒で7位、Honda新
平成29年1月都道府県対抗駅伝にて設楽悠太選手が埼玉県チームで出場し、7区区間賞
2016  
平成28年8月リオデジャネイロ五輪マラソンにて石川末廣選手が2時間17分08秒で36位、10000mにて設楽悠太選手が28分55秒23で29位
平成28年1月ユージンダイヤモンドリーグ10000mにてウィリアムマレル選手が26分54秒66で2位、Honda外国人新
平成28年3月びわ湖毎日マラソン(滋賀)にて石川末廣選手が2時間09分25秒で4位
平成28年1月全日本実業団駅伝(群馬)にて4位、4区設楽悠太選手が2年連続で区間新
2015  
平成27年11月東日本実業団対抗駅伝(埼玉)にて5年ぶり5回目の優勝
平成27年8月世界選手権(北京)マラソンにて藤原正和選手が2時間21分06秒で21位、10000mにて設楽悠太選手が30分08秒35で23位
北海道マラソンにて飯田明徳選手が2時間18分22秒で6位
平成27年6月日本選手権10000mにて設楽悠太選手が28分31秒32で2位、世界選手権(北京)日本代表選手に選出
平成27年5月ゴールデンゲームズinのべおか10000mにて設楽悠太選手が27分42秒71でHonda新記録
平成27年4月兵庫リレーカーニバル10000mにてウィリアムマレル選手が27分42秒99で大会2連覇
平成27年2月東京マラソンにて佐野広明選手が2時間09分12秒で9位
平成27年2月全日本実業団ハーフマラソンにて服部翔大選手が1時間01分25秒で6位
平成27年1月都道府県対抗駅伝にて設楽悠太選手、服部翔大選手が埼玉県チームで出場し、優勝
平成27年1月全日本実業団駅伝(群馬)にて4位、4区設楽悠太選手が区間新
2014  
平成26年12月福岡国際マラソンにて藤原正和選手が2時間09分06秒で4位
平成26年8月十和田八幡平駅伝(青森~秋田)にて2年連続9回目の優勝
平成26年5月リガマラソン(ラトビア共和国)にて千葉優選手が2時間13分44秒(大会新)で優勝
平成26年5月仙台国際ハーフマラソンにて佐野広明選手が1時間02分40秒で2位
平成26年4月兵庫リレーカーニバル、10000mにてウィリアムマレル選手が27分25秒56で優勝
平成26年3月びわ湖毎日マラソンにて福山良祐選手が2:11'18で5位
平成26年1月全日本実業団駅伝(群馬)にて8位
2013  
平成25年10月シカゴマラソンにて佐野広明選手が2:10'29で7位
平成25年9月ベルリンマラソンにて石川末廣選手が2:10'24で7位
平成25年8月北海道マラソンにて飯田選手が2:15'20で5位、大会新人賞
平成25年8月世界選手権(モスクワ)、マラソンにて藤原正和選手が2:14'29で14位
平成25年8月十和田八幡平駅伝(青森~秋田)にて2年ぶり8回目の優勝
平成25年6月日本選手権(調布)5000mにて上野渉選手が6位
平成25年4月大澤陽祐氏が監督に就任
平成25年3月びわ湖毎日マラソンにて藤原正和選手が2時間08分51秒のHonda新で4位
石川末廣選手が2時間09分10秒で6位
平成25年2月延岡西日本マラソンにて佐野広明選手が2時間12分14秒で優勝
平成25年2月別府大分毎日マラソンにて千葉優選手が2時間13分19秒で7位、大会新人賞
平成25年1月日本実業団対抗駅伝(群馬)にて4位
2012  
平成24年6月日本選手権(長居)、5000mにて齋藤勇人選手が6位
平成24年3月アジアクロスカントリー(中国)にて齋藤勇人選手が6位
平成24年3月びわ湖毎日マラソンにて堀口貴史選手が2時間09分16秒のHonda新で7位
平成24年1月全日本実業団対抗駅伝(群馬)にて8位
2011  
平成23年8月世界選手権(韓国)、10000mにてイブラヒム・ジェイラン選手が優勝
平成23年8月十和田八幡平駅伝(青森~秋田)にて2年連続7回目の優勝
平成23年5月静岡国際陸上、5000mにてイブラヒム・ジェイラン選手が優勝
平成23年1月全日本実業団対抗駅伝(群馬)にて7位
年 月内 容
2010  
平成22年11月東日本実業団対抗駅伝(埼玉)にて2年ぶり4回目の優勝
平成22年8月十和田八幡平駅伝(青森~秋田)にて2年ぶり6回目の優勝
平成22年2月東京マラソンにて藤原正和選手が大会日本人初の優勝
平成22年1月朝日駅伝(福岡)にて初優勝
平成22年1月全日本実業団対抗駅伝(群馬)にて6位
2009  
平成21年8月世界選手権(ドイツ)3000mSCにてヤコブ・ジャルソ選手が5位
平成21年5月東日本実業団対抗陸上(山形)、5000mにてヤコブ・ジャルソ選手が大会新で優勝
平成21年3月世界クロスカントリー(ヨルダン)にて石川末廣選手、池上誠悟選手が日本代表として出場
平成21年1月全日本実業団対抗駅伝(群馬)にて8位
2008  
平成20年10月東日本実業団対抗駅伝(埼玉)にて15年ぶり3回目の優勝
平成20年8月北京五輪(中国)、3000mSCにてヤコブ・ジャルソ選手が8分13秒47でHonda新、エチオピア新で4位
平成20年8月十和田八幡平駅伝(青森~秋田)にて大会新で2年連続5回目の優勝
平成20年4月兵庫リレーカーニバル、3000mSCにてヤコブ・ジャルソ選手が大会新で優勝
平成20年3月全日本実業団ハーフマラソン(山口)にてベケレ・ゲブレサディック選手が優勝、団体優勝
平成20年1月全日本実業団対抗駅伝(群馬)にて3位
2007  
平成19年8月十和田八幡平駅伝(青森~秋田)にて3年ぶり4回目の優勝
平成19年6月明本樹昌氏が監督に就任
2006  
平成18年3月アジアクロスカントリー(ヨルダン)にて藤原正和選手が4位
2005  
平成17年6月日本選手権(国立)、5000mにて山口洋司選手が4位
平成17年1月全日本実業団対抗駅伝(群馬)にて5位
2004  
平成16年8月十和田八幡平駅伝にて大会新で2年ぶり3回目の優勝
平成16年3月アジアクロスカントリー(中国)にて加藤俊英選手が6位
平成16年2月東京国際マラソンにて堀口貴史選手が7位
平成16年1月全日本実業団対抗駅伝(群馬)にて5位
2003  
平成15年12月福岡国際マラソンにて野田道胤選手が2時間09分58秒でHonda新
平成15年6月日本選手権、5000mにて石川末廣選手が3位、10000mにおいて加藤俊英選手が7位
平成15年1月全日本実業団対抗駅伝(群馬)にて6位
2002  
平成14年10月世界ハーフマラソン(ベルギー)にて加藤俊英選手が日本代表として出場
平成14年9月全日本実業団対抗陸上(福島)、10000mにてサムエル・カビル選手が優勝
平成14年8月十和田八幡平駅伝(青森~秋田)にて17年ぶり2回目の優勝
平成14年7月札幌国際ハーフマラソンにてサムエル・カビル選手が1時間01分11秒の大会新で初優勝
平成14年6月日本選手権(金沢)、5000mにて野田道胤選手が8位
平成14年灰塚吉秋氏が監督に就任
平成14年1月全日本実業団対抗駅伝(群馬)にて7位
2001  
平成13年6月日本選手権(国立)、5000mにて野田道胤選手が2位(日本人1位)、池谷寛之選手が6位
平成13年3月世界クロスカントリー(アイルランド)にて小嶋大輔選手が日本代表として出場
平成13年1月全日本実業団対抗駅伝(群馬)にて7位
年 月内 容
2000  
平成12年10月日本選手権(宮城)にて池谷寛之選手が5000mで7位、10000mで8位、5000mにて野田道胤選手が8位
平成12年10月世界ハーフマラソン(メキシコ)にて早田俊幸選手が日本代表として出場
平成12年7月国際大会ナイト・オブ・アスレチックスにて池谷寛之選手が13分25秒72のHonda新
平成12年1月全日本実業団対抗駅伝(群馬)にて7位
1999  
平成11年4月全国中・長距離熊本選抜陸上(熊本)、5000mにて野田道胤選手が優勝
平成11年3月アジアクロスカントリー(イラン)にて加藤俊英選手が5位
1996  
平成8年6月日本選手権(長居)、5000mにて横田芳則選手が4位
平成8年3月世界クロスカントリー(イタリア)にて横田芳則選手が日本代表として出場
1995  
平成7年10月世界ハーフマラソン(フランス)にて宮島誠一選手が日本代表として出場
平成7年9月アジア選手権(インドネシア)、3000mSCにて町田次雄選手が5位
平成7年6月日本選手権(国立)、3000mSCにて町田次雄選手が3位
平成7年2月東京国際マラソンにて伊藤広幸選手が8位
平成7年1月東京シティーハーフマラソンにて浦田春生選手が1時間00分49秒のアジア最高記録、日本最高記録で優勝
平成7年1月全日本実業団対抗駅伝(群馬)にて4位
平成7年浦田春生氏が監督に就任(選手兼)
1994  
平成6年6月日本選手権(国立)にて大澤陽祐選手が5000mで8位、10000mで5位、1500mにて荒田祥利選手が4位
平成6年3月世界クロスカントリー(イギリス)にて横田芳則選手が日本代表として出場
平成6年2月東京国際マラソンにて鈴木尚人選手が8位
平成6年1月全日本実業団対抗駅伝(群馬)にてチーム最高順位となる2位
1993  
平成5年11月東日本実業団対抗駅伝(千葉)にて2年連続優勝
平成5年10月世界ハーフマラソン(ベルギー)にて浦田春生選手が日本代表として出場
平成5年6月日本選手権(国立)、10000mにて大澤陽祐選手が5位
平成5年5月東アジア大会(上海)、5000mにて大澤陽祐選手が優勝、800mにて荒田祥利選手が5位
平成5年3月世界クロスカントリー(ハンガリー)にて鈴木秀之選手が日本代表として出場
平成5年1月全日本実業団対抗駅伝(群馬)にて3位
1992  
平成4年11月東日本実業団対抗駅伝(千葉)にて初優勝
平成4年10月全日本男子選抜陸上(国立)、5000mにて大澤陽祐選手が優勝、
平成4年度の日本グランプリ種目別優勝を果たす
平成4年10月世界ハーフマラソン(イギリス)にて鈴木尚人選手が日本代表として出場
平成4年7月バルセロナ五輪(スペイン)、10000mにて浦田春生選手が日本代表として出場
平成4年6月日本選手権(国立)、5000mにて鈴木尚人選手が6位、
10000mにて浦田春生選手が4位で五輪日本代表に選出、大澤陽祐選手が6位
平成4年3月世界クロスカントリー(スペイン)にて鈴木秀之選手が日本代表として出場
平成4年3月全日本実業団ハーフマラソンにて鈴木尚人選手が1時間02分18秒の日本最高記録で優勝
平成4年2月熊日30kmロードレース(熊本)にて大澤陽祐選手が優勝
平成4年1月全日本実業団対抗駅伝(群馬)にて5位
1991  
平成3年10月アジア選手権(マレーシア)、1500mにて荒田祥利選手が5位
平成3年8月世界選手権(日本)、10000mにて浦田春生選手が日本代表として出場
平成3年7月南部記念陸上(札幌)、5000mにて浦田春生選手が優勝し、世界選手権日本代表に選出される
平成3年7月国際グランプリ・ビスレッドゲームス(ノルウェー)、10000mにて浦田春生選手が27分58秒72のHonda新
平成3年6月日本選手権(国立)、5000mにて鈴木尚人選手が4位、10000mにて浦田春生選手が6位
平成3年3月信毎マラソン(長野)にて村上亨史選手が初優勝
平成3年3月世界クロスカントリー(アメリカ)にて大澤陽祐選手、鈴木秀之選手が日本代表として出場
平成3年1月全日本実業団対抗駅伝(群馬)にて初の表彰台となる3位
年 月内 容
1990  
平成2年12月国際千葉駅伝(千葉)に浦田春生選手が日本代表の主将として出場、日本の初優勝に大きく貢献する
平成2年9月アジア大会(北京)、800m、1500m両種目にて荒田祥利選手が6位
平成2年9月全日本実業団対抗陸上(小田原)、10000mにて浦田春生選手が2年連続優勝
平成2年6月日本選手権(千葉)、1500mにて荒田祥利選手が初優勝、10000mにて鈴木秀之選手が7位
平成2年3月世界クロスカントリー(ベルギー)にて大澤陽祐選手が日本代表として出場
平成2年1月全日本実業団対抗駅伝(群馬)にて5位
1989  
平成元年9月全日本実業団対抗陸上(金沢)、10000mにて浦田春生選手が優勝
平成元年9月ワールドカップ陸上(スペイン)、10000mにて浦田春生選手がアジア地区代表として出場し、4位
平成元年6月日本選手権(国立)、5000m、10000mの両種目で浦田春生選手が2年連続2種目優勝、
荒田祥利選手が800mにて3位、1500mにて4位
平成元年3月立川ハーフマラソン(立川)にて浦田春生選手が1時間02分23秒の日本最高記録を樹立し、優勝
平成元年3月世界クロスカントリー(フランス)にて鈴木秀之選手が日本代表として出場
平成元年1月全日本実業団対抗駅伝(群馬)にて7位
1988  
昭和63年7月ラベンダ国際陸上(フィンランド)、10000mにて浦田春生選手が優勝
昭和63年6月日本選手権(国立)、5000m、10000mの両種目で浦田春生選手が初優勝、800mにて荒田祥利選手が3位
昭和63年2月台北国際マラソン(台湾)にて扇昭男選手が3年連続優勝
昭和63年1月初の群馬県開催となった全日本実業団対抗駅伝(群馬)にて8位
1987  
昭和62年2月台北国際マラソン(台湾)にて扇昭男選手が2年連続優勝
ユニバーシアード(ユーゴスラビア)、マラソンにて村上亨史選手が2位
1986  
昭和61年12月全日本実業団対抗駅伝(彦根)にて6位
昭和61年10月アジア大会(ソウル)、1500mにて大志田秀次選手が優勝
昭和61年5月日本選手権(国立)、1500mにて大志田秀次選手が2位、3000mSCにて千木良孝之選手が4位
昭和61年5月東京国際陸上(国立)、1500mにて大志田秀次選手が優勝
昭和61年3月びわ湖毎日マラソンにて浦田春生選手が8位
昭和61年2月台北国際マラソン(台湾)にて扇昭男選手が初マラソンで優勝
昭和61年1月中国山口駅伝(山口)にて初優勝
1985  
昭和60年12月全日本実業団対抗駅伝(伊勢)にて初の入賞となる7位
昭和60年10月アジア選手権(インドネシア)、5000mにて浦田春生選手が2位
昭和60年8月十和田八幡平駅伝(青森~秋田)にて初優勝
昭和60年5月日本選手権(国立)、3000mSCにて千木良孝之選手が8位
1983  
昭和58年碓井哲雄氏が監督に就任
1982  
昭和57年9月日本選手権(国立)、三段跳びにて平谷元邦選手が5位
1981  
昭和56年10月日本選手権(国立)、400mHにて山本和平選手が6位、三段跳びにて平谷元邦選手が5位
年 月内 容
1980  
昭和55年12月全日本実業団対抗駅伝(伊勢)、初出場
昭和55年11月東日本実業団対抗駅伝(茨城)にて3位に入り、初の全日本への出場権を獲得
昭和55年10月日本選手権(国立)、400mHにて山本和平選手が4位
1979  
昭和54年10月日本選手権(国立)、棒高跳びにて高根沢威夫選手が3位
昭和54年9月

全日本実業団対抗陸上(国立)、棒高跳びにて高根沢威夫選手が4年連続優勝、

走り高跳びにて影井克弘選手が2年連続優勝、400mHにて山本和平選手が優勝

1978  
昭和53年10月日本選手権(国立)、棒高跳びにて高根沢威夫選手が4位、石倉選手が6位
昭和53年9月

全日本実業団対抗陸上(宮崎)、棒高跳びにて高根沢威夫選手が3年連続優勝、

走り高跳びにて影井克弘選手が優勝、走り幅跳びにて大井選手が優勝

1977  
昭和52年10月日本選手権(国立)、走り高跳びにて影井克弘選手が優勝
昭和52年10月

全日本実業団対抗陸上(長野)、棒高跳びにて高根沢威夫選手が2年連続優勝、          

5000mJrにて大橋良弘選手が優勝

昭和52年9月ワールドカップ陸上(西ドイツ)、棒高跳びにて高根沢威夫選手が5位
昭和52年小高清志氏が監督に就任
1976  
昭和51年10月モントリオール五輪(カナダ)、棒高跳びにて高根沢威夫選手が8位
昭和51年10月全日本実業団対抗陸上(長居)、棒高跳びにて高根沢威夫選手が優勝
昭和51年6月日本選手権(国立)、棒高跳びにて高根沢威夫選手が2年連続優勝
1975  
昭和50年5月日本選手権(国立)、棒高跳びにて高根沢威夫選手が優勝
1971 創 部
昭和46年10月福岡豊則監督以下、選手23名でスタート