うろうろしている。V6エンジンを刷新した福尾幸一、アルミボディのエキスパート斉藤政昭・・・つねにクルマに夢を求めてきた会社の、このミッションへの意気込みを感じるに十分な布陣だった。
もともとホンダと環境は、縁が深い。70年代に米国でホンダの名を不動にしたシビックのCVCCエンジンは、当時クリアするのは不可能と言われた米国の排ガス規制法(マスキー法)を、世界のどの自動車メーカーよりも先にクリアした。90年代はEV(電気自動車)の開発にも着手。ソーラーカーレースにも参戦し、なんど
い議論が交わされた。本人たちはマジメに議論していても、はたから見ればただの喧嘩だ。議論はときに、居酒屋に場所を移すこともあった。「ハイブリッドといえども、走りの楽しさを忘れないのが、ホンダなんだよ。クルマは、ロマンなんだよ」藤村の熱い想いが、山本の胸にずっしりと響いた。
やがて、ホンダのハイブリッドがとるべき道が、明確な輪郭を見せ始める。そのシステムは、IMA(インテグレーテッド・モーター・アシスト)名づけられた。日本メーカー初のハイブリッドカーの実現まで、あともう
少しだ。搭載する車種も、その発売時期も決まっていくまさにそのとき、
信じられない出来事が起きた。
1997年3月の薄寒い朝に、山本は先輩からの電話で叩き起こされる。「おい、新聞を見たか」山本は、眠い目をこすりながら、朝刊を開く。「ええーっ」
<トヨタ、ハイブリッド技術を発表。世界初の量産化へ>