Hondaは、国内3ヵ所にサーキットと総合レジャー施設を有するモビリティ発信基地(鈴鹿サーキット、ツインリンクもてぎ、多摩テック)を持つ唯一の企業として、モビリティとモータースポーツのさらなる発展に向けて、施設の事業強化を図る。
Hondaの子会社である株式会社鈴鹿サーキットランドと株式会社ツインリンクもてぎは、2006年6月をめどに合併することに基本合意した。Hondaは、これに先立ち、(株)鈴鹿サーキットランドの株式を全数取得し、完全子会社化する。合併による新会社名は、「株式会社モビリティランド」となる予定で、新会社は、これまでのノウハウ、経験をもとに、より品質の高いイベント・商品の提供を目指し、モータースポーツ、モビリティの普及、安全運転普及などの活動のさらなる発展に寄与していく。
Hondaは、1962年に「鈴鹿サーキット(三重県鈴鹿市)」を開業した。鈴鹿サーキットは、日本で初めての本格的な国際レーシングコースとして、また、若い世代・子供たちをも対象にしたモビリティ文化普及、教育活動、“自ら操る喜び”を生み出す場、遊園地や安全運転教育施設を併せ持つ施設として誕生。「多摩テック(東京都日野市)」も、1961年の開業以来、遊園地「モートピア」を通じて、モビリティの底辺拡大や“操る楽しさ、喜び”を提供してきた。以来、両施設は40年以上にわたり、健全なモータリゼーションの発展に寄与するとのビジョンのもと、諸活動を展開してきた。
さらに、Hondaは1997年に「ひと、自然、モビリティの融合」をテーマに、オーバルコースとロードコースの2つのレーシングコースを併せ持ち、参加体験型モータースポーツや安全運転教育を提供する新しいモビリティ発信基地「ツインリンクもてぎ(栃木県芳賀郡茂木町)」を開業した。ツインリンクもてぎは、Hondaの創業以来の二輪・四輪・汎用製品およびレーシングマシンを展示する「Honda Collection Hall」や、ものづくり体験、環境、安全への取り組みが学べる体験型施設「ファンファンラボ」を有している。また、豊かな里山に囲まれた自然の中での体験を通じて「遊びと学び」から感性を養う「ハローウッズ」等の企業活動を通じて、様々な「楽しみ」を提供している。
Hondaは、これらの施設を企業活動の発信基地として活用し、モビリティを通じて「喜び」や「夢」を広く社会に提供していく。
1961年2月1日(開業:1962年9月)
取締役社長 清水 郁郎
20億円
本田技研工業(株)85.4% その他14.6%
三重県鈴鹿市
鈴鹿サーキット(三重県鈴鹿市)、多摩テック(東京都日野市)
373人(2005年3月末)
185.6億円(2005年3月期)
1961年 | 2月 | (株)鈴鹿サーキットランドの前身となる(株)モータースポーツランドを設立 |
10月 | 多摩テック(東京都日野市)営業開始 | |
1962年 | 9月 | 鈴鹿サーキット完成、営業開始 |
1963年 | 1月 | 鈴鹿サーキットに第1期自動車遊園地完成、営業開始 |
11月 | 世界選手権第1回日本グランプリ ロードレース大会開催 | |
1964年 | 9月 | 鈴鹿サーキットで白バイ、パトカーの運転技術指導開始 |
1978年 | 7月 | 鈴鹿8時間耐久オートバイレースを初開催 |
1987年 | 3月 | FIM二輪ロードレース世界選手権 日本グランプリを開催 |
6月 | 社名を(株)鈴鹿サーキットランドに変更 | |
11月 | FIA F1世界選手権 日本グランプリを初開催 | |
1992年 | 4月 | 鈴鹿サーキットにてレーシングスクール(SRS)開校 |
2000年 | 7月 | 鈴鹿サーキット遊園地に「子供が主役」がコンセプトの「プッチタウン」をオープン |
1991年2月1日(1997年8月開業)
取締役社長 清水 郁郎
50億円
本田技研工業(株)100%
東京都中央区八重洲
ツインリンクもてぎ(栃木県芳賀郡茂木町)
133人(2005年3月末)
86.2億円(2005年3月期)
1991年 |
2月 | (株)ツインリンクもてぎの前身となる(株)ホンダモビリティーワールドを設立 (1994年1月 社名を(株)ツインリンクもてぎに変更) |
1997年 | 8月 | ツインリンクもてぎ営業開始 |
1998年 | 3月 | スーパースピードウェイ(オーバルコース)でCARTを初開催 Honda Collection Hall、ファンファンラボ開設 |
1999年 | 4月 | FIM二輪ロードレース世界選手権を初開催 |
2000年 | 7月 | 「ハローウッズ」を開設 |
2003年 | 4月 | インディレーシングリーグ初開催 |
以上