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千葉大学 工学部 工業意匠学科 卒業。
1956年(昭和31年)入社後、車体設計課でスーパーカブC100のデザインを担当。以後デザイン部門の主任研究員マネージャーに就任し、四輪、汎用製品等のデザインも手がける。ブラジルホンダ取締役等を経て、1990年(平成2年)定年退職。
私は大学では工業デザインを専攻していました。工業デザインのいろいろな話をある先輩から聞いて、これはおもしろい分野だなぁと。千葉大に日本で初めてそういう科ができたんですよ。その頃から、ホンダの製品にはなかなか機能的で形の良いデザインがあって、注目していた。オートバイが好きだったから、余計に注目していたわけです。
それから成増に住む友人が、当時白子にあったホンダへ連れていってくれた。それで中をのぞくと、汚い会社なんですよね(笑)。ところが、従業員がものすごく活動的に働いている。ビーカーの中で、イオンがカチカチッといっているみたいに。
そんなこともあってホンダへ入ろうと思い、入社試験を受けたのですが、その時、防寒着を着て「HONDA」と書かれた作業帽をかぶった人がスーッと通っていくんですよ。何だろうなぁと思ったら、社長の本田宗一郎だったんですね。入社もいろいろな経緯がありまして、ホンダは他社より発表が遅いくせに、10月の中頃にいきなり「決まった。来い」と言うんですよ。そして車体設計課に配属が決まっていて、「明日から勤めろ」と。
入社してもあまりやることがなく、ぶらぶらしている時に先輩の人が社史をくれたんですけど、それにおもしろいことが書いてあったんですよ。本田宗一郎の物づくりに対する情熱やらが。私も物づくりが好きで、それに共感してね。「おー、ホンダに入って良かったなぁ」とつくづく思ったものです。


オヤジさん(本田宗一郎)が昭和31年12月にヨーロッパから帰ってきて、スーパーカブのエンジン設計がその翌年の1月にスタートしているんです。それは4サイクルで、まったく新規に考えた。それから車体は車体で、今までにないものをつくるんだと。たまたま私の正規の入社がその年の4月からですから、私もすぐに車体設計を始めるわけです。
最初の頃、車体設計の古株の人によく言われました。今まで本田宗一郎とずっとつき合っていて、いろいろ怒られたりしていた人が私に教えてくれたんです。「オヤジが後ろに来ている時は要注意だよ」と。下手すると、ブワーッとマジックインキで×印を図面につけちゃうんですって。それを聞いていたもんだから、私はリアルな線というのを全然描かなかった。
私がホンダに入った時、大きい製図板をちゃんと用意しておいてくれましたから、そこへ紙を張って、何本もの線で1分の1のタイヤを描いて、フロントフォークを描いて、ヘッドライトをバーッと描いて…。それはまだレイアウトであって、何も全然決まってないわけで、ただイメージの絵を描く。何本もの線でね。
そうするとオヤジが時々、口笛を吹きながら後ろを通っていくんです。「あっ、また来ているな」とわかるんですけど、そういうことで私はたまたま一回も×印はつけられなかった。


スーパーカブのデザインで苦労したことは、一つは全体のプロポーション。当時はパイプフレームのオートバイというのが結構多かったんですね。ところがホンダはどういうわけかプレスのフレームでやっていた。やっぱりこれはオヤジの好き嫌いもあると思うんですけど。
私は自然な形というものを非常に大事にしていたんですよ、学校でも生物の形態について勉強して余計な単位をとったぐらいで。それで、非常にナチュラルなものを目指して、奇をてらう形というのはこのスーパーカブには全然入ってない。
それともう一つは、やっぱり豪華に見えるもの、頑丈に見えるもの。そのためには、やっぱりパイプよりも面で構成したほうがいい。ある程度の形が粘土のクレイモデルでできつつあった頃、よくみんなに言ったもんですよ、「今までのオートバイは線(ライン)の構成だ。でも、これは面の構成で行くんだ」と。
中でもいちばん形で苦労したのはこのフロントカバー。藤澤さんはヨーロッパをオヤジと視察して帰ってきてから、「オートバイでもない、スクーターでもないものを」と言っているわけですよ。しかも藤澤さんの奥さんが、自分の夫がオートバイの仕事をしているわけだけど、「オートバイというのはどうも、エンジンなどの臓物が見えるのが気に入らない」みたいなことを言っているのが伝わってくる。それで何とかしなくちゃいかんと。
それで、私はもともと飛行機が好きで、飛行機のナセルカバー(エンジンカバー)をこのシリンダーにつけるような格好でデザイン画を描いたんですよ。だから初期のスーパーカブは、エンジンのところがちょっと膨れているでしょ。円筒をそこの中に置いたデザインの名残ですよ。


このプレスのハンドルも、最初の設計段階ではパイプハンドルだったんですよ。でも、「格好がよくないね。何とかこれ、プレスにならんのか」という意見があった。そしたら、設計屋さんが、「テストマンを呼ぼうや」と。その頃、TTレースなんかをやっていた連中が、ライディングポジションを決めていたんですよ。彼らは、「これは、普通のお客さんが乗るんだから低くしちゃだめだよ」と。
当時、オートバイというのは、スピーディーに乗るためには前傾姿勢というのが当たり前だったんですけど、これは乗車姿勢が立ってなくちゃいかんからハンドルが高かった。パイプハンドルだと、ハンドルを高くするのがすごく簡単にできるわけですよ。でも、こっちはプレスにしたいわけですよね。
テスト屋さんは、高さを維持したい。設計屋さんは、プレスの可能性からできるだけ低くしたい。1週間くらい、私の部屋でけんけんがくがくで…。まぁ、よくそうやってみんな妥協しないというか、とことん追求していましたね。それが最終的にうまくまとまる。いろんな人が集まっちゃ、けんけんがくがくやるんだけど、そういう過程から次の着想、うまい着想を見つけていた。
いろいろなアイデアを出しながら、従業員が一つの目標に向かって進んでいく。考えてみるとホンダというのは、やっぱりそういうところがあるんですよね。
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