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1974-1977 NOTE
解説文章
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タイトル
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第2話第2話-1
ph1-1
●ドリームCJ360T
軽快なツインモデルCB360Tの走る機能と経済性を徹底させている。2in1のマフラーや6→5段になったミッション、キックのみの始動などが主な変更点だ
'74年、本田技術研究所が2輪部門と4輪部門に分離。2輪部門はそれまでの和光研究所から朝霞テック(エンジンを使った乗り物のある遊園地)跡地に移されて研究所部門を拡充する時期であり、朝霞研究所という名前で呼ぶようになったのもこの頃のこと。従来から技術研究所に所属していた先輩技術者も全員が新しい拠点、新しい組織での再スタートということで、鈴鹿製作所から転勤してきた私のような研究所新人も物おじしたり遠慮することなくみんなの仲間入りができた。

配属は車体設計を受け持つ部署。希望の部署で、しかも念願の大型バイクの担当になり、シテヤッタリ。その一方、「これから新機種を開発するんだ」と思うと、緊張もした。設計室にはドラフター(製図台)がズラリと並び、「ここで新機種が生み出されるのか」と思うと感動的ですらあった。

朝霞での仕事は、マイナーチェンジ部品の設計の手伝いから。内容は鈴鹿での業務の延長のようなものだったので戸惑いもなくスムーズに入っていけたが、心がまえはずいぶん違っていた。「こんなぐあいに新機種が生み出されているんだな」と、全てが新鮮で吸収の対象だったのである。


朝霞に転勤して1年後の'75年3月にCJ360Tという新機種を担当することとなり、はじめて車体設計PL(プロジェクトリーダー)を担当した。早すぎる指名に自分でもビックリしたが、LPL(ラージプロジェクトリーダー=開発責任者)のもとに各部門のPLが集まってチーム全体の意思を統一させるミーティングはすごく刺激的で、ここでも吸収できることは多かった。


また毎日バイクの仕事をし、研究室の仲間ともバイクの話をするうちにどうしても自分でも欲しくなり、CB350Tを購入。休日にはみんなで富士5湖方面や箱根、日光方面などへツーリングに出かけた。すると高校生の頃に感じた感覚とは違う、バイクの持つ緊張感や自然との一体感などが味わえて、また一段とバイクが好きになっていったのだった。

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